「ユダは兄弟たちから離れて下っていき」とある。ユダは兄弟たちから離れざるをえなかったのだろう。ヨセフが、売り飛ばされて、血を浸したヨセフの長服を、父のヤコブに見せたところ、ヤコブは、嘆き悲しんだ。幾日も「泣き悲しみながら慰められることを拒んだ」そのような父の悲しみに良心を咎められない兄弟たちはいなかったはずである。一方ヨセフを殺そう、売り飛ばそうと考えるような兄弟たちである。罪意識に責められて、罪を告白し、罪の赦しを願うという正しい行動にはならず、罪のなすり合いとなり、ユダが売り飛ばそうと言い出さなかったら、とユダに非難の矛先は向かったことだろう。
人間は愚かである。自らの罪は認めることができない。自分の罪は棚に上げるどころか、人にその責任を負わせていく、誰かをスケープゴートにしたてて、物事に決着をつけようとするのだ。ユダも、兄弟たちのそんな空気を読みとり、もはやこれまでと思ったのかもしれない。ユダは兄弟たちを離れていった。
ところで、ユダが新しく居を構えるようになった土地は、後にエジプトを脱出しカナン征服を始めた際にユダ族が相続する土地である(ヨシュア15:35)。また、ダビデがガテの王アキシュに保護を断られた際に、サウルから逃れて身を隠し、本拠地とした場所である(2サムエル23:13)。旧約聖書を読み進めながら、その1章1章に、将来のイスラエルの姿が予表されているのを感じるところだろう。実際この38章の意義は、救い主イエス・キリストの系図が、明らかにされるところである。イエス・キリストはユダ族から出るのであるから、ユダ族が子孫をどのように残したかという記録でもある。
ユダは、カナン人を妻にめとった。これは、イスラエルの戒めでは、赦されないことであった(創世記24:3)。やがて生まれた長子のエルや次男のオナンは、神のみこころにそぐわない、悪しき者であったという。そして、神の怒りをかって死んだので、ユダは、子孫を残すために、長子の嫁タマルを三男のシェラに与えなくてはならなかった。これは、レビラート婚と呼ばれる当時の習慣による。それは、結婚した男性が子どものないまま死んだ場合の法的な取り決めで、死んだ男性の兄弟が寡婦を自分の妻としてめとるものである。しかしシェラの死を恐れたユダは、タマルにシェラを与えようとしなかった。ユダは自分の子どもたちが死んだのは、自分の子どもに原因があったというのではなく、妻タマルにあって、タマルは不吉な女と決めつけていたのである。
タマルは、レビラート婚の権利に訴えて、しかし、合法的にではなく、ユダを騙して売春する形で、みごもっていく。しかも、この売春は、単なる性的な誘惑ではなく、宗教的な売春であった。「羊の毛を切る時期」は豊穣の祭りの時を意味し(1サムエル25:4)、タマルはカナン人の民間信仰による儀式的な淫行に誘い込んだのである。ここにあるのは必死に生き残りをかけて策略的に動いた異邦人の女と、異教的なカナンの民間信仰に侵された神の民である男の話である。これがヨセフ物語の中に記されたことが、ヨセフの信仰を際立たせ、さらにイエスの家族史の汚れた一面を浮き彫りにしている。
つまり、マタイの福音書のイエスの系図は、しばしばたいくつなリストに感じられるが、タマルによって生まれたペレツとゼラフの名(マタイ1:3)を見つけながら、そこに、ユダの、容認され難い異教性と、弱くも策略的に生き残りをかけた遊女との関わりがあった背景を思いめぐらすことができる。そして、神はエリートの家系ではなく、まさに罪深い底辺と思われるようなごたごたの中に、ご自身の最愛の一人子、イエス・キリストを生まれさせたことに、驚嘆せざるを得ないのである。
神を信じて生きることは背伸びして生きるような人生ではない。正直に生きてよいのである。自分の過去を嘆く必要もないし、自分の家族史を卑下する必要もない。たとえいかなる人生を歩んでこようとも、神は、それによって人を評価されることはない。今まさに神にどう向かっているのか、その気持ちを大事にされる。罪を犯したなら、悔い改めればよいことで、ありのままに、神の祝福を願うことである。そうすれば、自己防衛の人生を生きたり、人に罪をなすりつけて攻撃したりするような人生からも解放される。そして魂に安らぎが来る。