●45章 ヨセフの悔い改め
1.心を抑えきれなかったヨセフ(45:1-13)
ベニヤミンをかばうユダのことばに、ヨセフは自分を制することができませんでした。彼は不覚にも声をあげて泣き始めるのです。この涙は、初めの涙とは意味が違います。初めのそれは(43:30)、弟懐かしさの涙でした。しかし二度目のそれは(45章)、感動と和解の涙です。目の前でヨセフに切々と語りかけているのは、かつて鬼の形相をして、ヨセフを商人に売り渡したユダではなく、もはや真摯に人を思い、そのために捨て身で口を開くユダでした。そこには変えられたユダの姿があったのです。しかし、ヨセフは、変われずにいました。自分の正体を明かすべき時が来ていましたが、ヨセフの心には大きくブレーキが掛けられていました。それが、突然解放された形です。お前たちを決して赦さないと思う頑なな心、あんな偏愛に満ちた父がいなければ、こんな辛い人生を生きることもなかった、お父さん、あんただって赦さないと思う頑なな心が一挙に崩れていくのです。
かつてヨセフは、二番目の息子をエフライムと名づけ、主がこの苦しみの地で、自分に多くの償いをしてくださった、と告白しています。しかし、それは物質的な償いであって、心の傷を癒す償いではなかったということでしょう。有り余る富と地位で、彼は自分の心をごまかし続けてきただけでした。深い心の傷は癒されずに来てしまったのです。ある金持ちの求道者が語ってくれたことがあります。金持ちにはごまかしが効くと。寂しい心、むなしい心を、金でごまかせるのだ、と。それがたとえ一瞬であったとしても、そうなのだ、と。ヨセフも同じだったのでしょう。
そういうわけで、ヨセフの本当の幸せは、この時から始まっていくのです。変えられた兄弟たちと和解し、かつての父親を受け入れていくところから、神が償ってくださった、自分は幸せだ、と心底言える人生が始まっていくのです。それまでの人生は、ただの見せかけの幸せでした。ユダの真実に変えられた姿は、ヨセフの癒しがたい心に初めてメスを入れた形になったのでしょう。
2.元気づいた父ヤコブ(45:14-28)
そしてこれが、聖書が語る祝福、神がアブラハムに約束された祝福なのだと私は思うところがあります。ヨセフ物語は、絵画的に「神の祝福のことば」が何であるかを教えてくれるのです。新約聖書における放蕩息子(ルカ15:11-32)のたとえが神の愛を理解させるものであるとしたら、旧約聖書におけるヨセフ物語は、神の祝福を理解させるものです。つまり、分かり合うことができない、心を通わせられない人間関係に、和解と心一つにされる奇跡が起こる、否定すべき過去が、もはや心の中で閉じられて、本当に過去となっていく、そして新しい関係がスタートしていく、それがヨセフの味わった祝福です。それは地上における、お金、名誉、地位がもたらせるようなものではありません。ただ、神のあわれみ、恵みによる奇跡的な祝福なのです。
既にヨセフは39歳となっていました。神は、この恵みをヨセフに、そして家族に理解させるために、多くの時間を費やされました。神は単純に物事を進められるお方ではありません。私たちにはとうてい無駄と思えるような時間かもしれませんが、物事がわかってくる時と場を備えてくださるのです。そして神は、起こりえないことを起こりうるようにしてくださるお方です。この時点では、もはやヨセフだけが、自分の心に素直になればよい状況でした。しかし、わかっていても、そうはなれないことがあるものです。そのような心のつっかえが取り去られるのは、神のご介入あってのことです。となれば素直になれない時には、自分の気持ちをそのまま神に告げて、時を待つべきなのかもしれません。自分を抑えきれない形でその時が来るのか、それとも、スマートな形でそうなるのかは、わからないことです。
27節、父ヤコブは元気づいたとあります。歳を取ったものにとって、嬉しいことは、失われたと思われた月日が取り戻されるような時でしょう。人間、誰しもが痛みを持ち、失われた記憶の中に生きているところがあるのではないでしょうか。もし、そうであるなら、希望を捨てないことです。神の祝福のことばは、私たちの魂の祝福、私たちが生きることの祝福だからです。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「よみ」と訳されたことばは、ヘブル語でシェオール、ギリシア語ではなんと呼ぶでしょうか?」答えはハデスです。新約聖書では、マタイの福音書16:18で、新改訳第三版では「ハデスの門」2017では「よみの門」と訳されています。では、今日の聖書クイズを一つ、ヨセフはヤコブの何番目の子どもだったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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