申命記22章 他人の所有物に対する配慮
1.紛失物一般についての規定(22:1-4)
22章は、他人の所有物に対する心遣いを語っています。十戒の精神をどのように日常に生かすのか、既に十戒には、人のものを盗んではならないと教えていますが、それは、逆に言えば、他人のものを大事にせよということでしょう。私たちは子どもに物を与えて、大事にしなさいよ、と教えます。それが自分のものではなく、他人のものであっても同じようにするのが、聖書の教えなのです。人の牛や羊が迷っていたら、連れ戻してあげ、人が無くしたものを見つけたなら、知らぬ不利をせずに返してあげる。道で倒れていたら知らぬふりをせずに起こしてあげる、というわけです。ここでは同族の者、つまり近隣共同体に属する者に対する配慮が語られています。しかし上杉謙信の「敵に塩を送る」ではありませんが、敵や憎んでいる者に対する心遣いも大事にされています(出エジプト23:4-5)。神が与えられたものについては、常に、大事に守る気持ちを持つことで、人に対しては親切心を惜しまない、神の民としての姿勢が語られるのです。人間は、神の似姿に似せて作られたのだから、そのことに気づき、神と共に生きる決意をした神の民であれば、神のように気前のよい者、優しい者であるのは、自然なことです。
2.秩序を保つ:申命記特有(5節)
5-12節は、脈絡もなく雑多な教えが語られているようですが、秩序、区別が一つのテーマなのでしょう。女性が男装したり、男性が女装したりしてはいけない。これは、主に忌み嫌われることであるとされます。鳥の巣からひなか卵を取る場合、母親と子どもを一緒にとってはいけない。新しい家には、屋上に手すりをつける配慮をせよ。牛とろばを一緒くたに、仕事をさせてはいけない。仕事の効率から考えれば自然なことです。家畜に対しても、細やかな心遣いを持つのが神を信じる者の在り方なのです。羊毛と亜麻糸も、一緒くたに織り込んではいけない。なぜならこの手の織物は洗濯が楽ではないからだ、と言います。面倒くさい、と適当に物事をやるような人が
多い中で、神を信じる者は、時間をかけて丁寧に物事を進めていくのです。こう考えると、霊的である、信仰的であるというのは、結局、何時間祈っているとか、どれだけ奉仕をしている、とかいうことではなく、物に対する態度、仕事や生活に対する態度、そこに、どれほど自然な思いやりや心遣いがあるか、ということではないでしょうか。神ご自身がそのようなお方であり、神の子はその神譲りの性質を開花させる者なのです。
3.結婚に関する諸規定
男が妻をめとった後で、その妻を嫌い、処女でなかった、と事実と違うことを言いふらすならば、その責任を負わなくてはなりません。男は鞭打ちの刑に処せられた上、銀100シェケル、つまり花嫁料の倍額を返さなくてはなりませんし、一生離縁することもできません。女性はモノではなく、結婚は永遠の誓いなのです。心変わりをし、もう嫌になったからさようならではないのです。自分が伴侶とした者を一生大事にし、守り抜く心を持たなくてはならないのです。
また、夫のある女と関係を持った場合には両者共に死罪に当たります。婚約者のいる処女の女性が他の男と一緒に寝た場合も、両者共に死罪です。当時の婚約は、24節に、女が妻と言い換えられているように、法的には、結婚に相当するものでした。
また、合意によるものではない関係が結ばれてしまった場合、それが町で起こった場合と野で起こった場合が区別されて語られます。叫んでも助ける者がいない野でそれが起こった場合、それは合意ではないとみなされ、犯した男だけが死刑で女に罪はありません。また婚約していない処女と寝た場合には、男は娘の父親に花嫁料を渡して、一生彼女を妻としなければならない、とされます。
改めて結婚とは何かを考えさせられるところです。結婚は、単に愛情を感じ合ったものが結びつく以上のものなのです。結婚をし、家庭を作ることは、ある意味で、いのちをかけるべきことであり、最も大事にされるべきものです。物に対する態度、仕事や生活に対する態度、さらに伴侶に対する態度、そこに、心遣いを持って行くのが、神を認め、神を愛する神の民のあり方なのです。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。イスラエルでは死体は、どのように処理されたでしょうか?①火葬、②埋葬、③風葬、答えは、②埋葬でした。ユダヤ人は「埋葬」をこととし、ギリシア人やローマ人の間で行われていた「火葬」は破廉恥者、不義者に限っていました(レビ20:14、21:9、ヨシュア7:25)。では今日の聖書クイズを一つ、ユダヤでは結婚が承諾されると花嫁料を払うしきたりがありましたが、これを労働奉仕に換えて支払った旧約の人物は誰でしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
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