申命記4章 神を認め神に従うことの勧め
1.み教えの目的とその価値(1-8節)
1-3:29までは、出エジプト後の40年の歴史の振り返りです。その歴史を踏まえてモーセは、荒野で成長した新しい世代を約束の地に送り出す前に、もう一度律法を説明し、それに従順であるようにと勧めます(1-40節)。そうすれば、約束の国で長く幸せに生きることができる、また、自らの知恵と悟りを近隣諸国の人々に示すことになる、と言います。申命記は、新しい教えではなく、既に与えられているものの復唱です。
そこで3節、バアル・ペオルの例を教訓としてあげます。イスラエルはそこでモアブの女たちに誘惑され、神に背を向け偶像崇拝を行う罪を犯しました。そのエピソードの本質的な教訓は、どんなに高く素晴らしい教えがあっても、それを小脇に抱えて唱えているだけではだめだ、ということです。イスラエルの民は、欲にひかれて自爆するように堕落していきました。つまり、私たちは自分たちの堕落した性質についてよくよく理解し、自覚しなくてはならないのです。私たちは、神のみ教えを与えられてもそれを行う力はない。謙虚に自分の無力さを覚えて、主の十字架にある罪の赦しときよめの力にすがることです。主の守りを祈る熱心な祈りが必要だ、ということです。そのような霊的な生活こそ、神の祝福を得させ、周囲の人々にも神にすがる素晴らしさを証しすることになるのです(6節)。そこで、自分自身に十分に気を付けるように、と教えられます(11、15節)。
2.偶像礼拝の禁止(9-24節)
そして、偶像を作らないことです。神の声は聞くことができるとしても(12節)、神を見ることはできない(15節)。そのような神を、何等かの形に閉じ込めてはいけない。エジプトには、雄羊やわになどの形をした神々、空を飛ぶたかの頭をもった神々、また太陽神ラーや月神、その他ありとあらゆる形に作られた神が拝まれていました。それは、日本も同じでしょう。日本にも様々な形に彫られ、刻まれた神々が拝まれています。しかしそれらに命はなく、自ら見ることも、聞く事も、食べることも、かぐこともできない作られたモノに過ぎません。まことの神は、霊であり、目に見ることはできませんが、確かに人を救う力のあるお方。実際、神は、イスラエルを「鉄の炉」、エジプトの滅びの中から救い出したお方でした。
3.契約を破った時、あわれみ深い神を覚える(25-31節)
さらに神の掟と戒めに生きる時に大切なのは、神のあわれみを忘れないことです。私たちの罪の性質は、バアル・ペオルの教訓が示すように、いつでも堕落と背信の結果を生み出す可能性があるものです。そこで、実際に堕落と背信の罪に陥り、神の裁きを受ける実に惨めな状態に転落したならば、どうすればよいのか。その時には迷わず神が哀れみ深い方であることを思い起こして、主に立ち返ることです。心を尽くし、命を尽くして、主の救いを求めることです。主は、私たちをねたむほどに深く愛しておられるお方です。神は、「あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの父祖たちに誓った契約を忘れない」(31節)情深さを持ったお方です。神はあなたを回復させてくださるでしょう。
4.神への忠誠の勧め(32-40)
ですから、ただ聖書を学ぶのではない。教えられるのでもない。日々、神のことばによって神と良き時を過ごしながら生きることが大切です。神が人間に求めておられることは、品行方正に生きることでも、極めてストイックに生きることでもありません。ただ、主の偉大さとその御業を覚え、このお方以外にまことの神はおられないとすること。そして、人間の弱さを覚え、人間が人間らしく生きるためには、神の力が必要であると神の力にすがること。そして、神の恵みの契約を覚えて、罪過ちを犯したとしても、人生を捨てることなく、神の下にすぐに立ち返り、神との交わりの中に生きることです。
5.ヨルダン東側の逃れの町(41-43)
41節からは、民数記35:9-15、ヨシュア20:1-9と並行した記事です。罪を犯しやすい人間に対する神の哀れみ深い配慮として「逃れの町」について語られています。逃れの町は、故意にではなく、誤って失敗をした者の避け所として設けられた場所です。神は罪人にどこまでもやり直すチャンスを与えられるお方だということでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。アンモンとギルアデの自然境界となる川は、なんという名前の川であったでしょうか?答えは、ヤボク川でした。では今日のクイズを一つ、イスラエルが罪を犯し、神に裁かれ苦しみの中にある時に、神が忘れないと語られるのは何でしょうか?①イスラエルが犯した罪、②イスラエルの苦しみ、③イスラエルの父祖たちに誓った契約、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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