申命記 3章 ヨルダン川東側の占領と西側占領の準備
イスラエルがバシャンを征服した時のことです。イスラエルは、高い城壁と門とかんぬきのある要塞の町々を占領しました。
1.バシャンの王オグの国を占領(3:1-11)
攻め取った町の数は60。38年前に、偵察隊の報告によって「背の高いアナク人」や「城壁が高く天にそびえている町々」に驚き、不信仰のゆえに腰砕けになっていたイスラエルは、今や臆することなく戦い、主の助けによって勝利を重ねていきます。バシャンの王オグは、レファイムの生存者で、その鉄製の寝台が約4メートルに及ぶと書き加えたのは、彼らがどのような脅威を乗り越えたのかを示そうとしたものでしょう。
大切なことは、これが彼らの信仰経験の基本になったことです。著者は神の言葉を伝えて言います。「見よ、わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めている。占領し始めよ。その地を所有せよ」(2:24)と。そこで彼らは主のことばを信頼し「バシャンへの道を上って行った」(1節)とあります。すると敵は「迎えて戦うために出てき」ました。しかし主は、約束通りに敵を「私たちの手に渡された」(3節)のだと言います。これが彼らの信仰の基本を形作るわけです。これから先も主は、同じようにして共に戦い、勝利を与えられる、彼らは確信するわけです(21節)。
2.ヨルダンの東側の地の分配と西側征服の準備(3:12-22)
12-22節は、占領したヨルダン川東側の地区、シホンとオグの王国について、その領域とその地を受け継いだのがルベン族とガド族だとされます。
こうして神はヨルダン川の東側の地を、ルベン、ガドの二部族とマナセの半部族に与えられましたが、全イスラエルにとってはまだ戦い始まったばかりでした。ですからこれらの二部族半の勇士たちは、みな武装して、むしろ他の「同族」、つまり他の部族の先頭に立ってヨルダン川を渡っていくように、と勧められています。その背景は、民数記32:1-31を復習しておきましょう。
3.モーセの懇願(3:23-29)
さて、3章の残りの部分で、モーセの祈りが記録されています。モーセは、自分も共に彼らとヨルダン川を渡り、約束の地に入ることができるように、と神に懇願していますが、それは受け入れられず、ヨシュアが新しい指導者として任命されました。懇願するは、熱心に頼む、嘆願するという強い意味のあることばで、心からの深い切望をモーセは口にしたわけです。モーセの心は、この多いなる巡礼の旅の最後を見届けたい、というものであったのでしょう。しかし、神はがんとしてこれを許されませんでした。しかも、神がモーセの願いを許されなかったのは、あのメリバにおいてモーセが衝動的に怒り、主の言葉に背く結果に基づくのです。なんとも反逆の民を40年間、難儀しながら先導し続けた指導者モーセの心を思えば、それはあまりにも厳しすぎるようにも思われます。人間は神ではなく、過ちを犯すものですから、神様ひどいじゃないか、というところでしょう。神がお許しにならないその理由はよくわかりません。ただ、モーセが彼らと共に、約束の地に入ったら、どんなことが起こっただろうか、と考えてみると、おそらく、罪深いイスラエルの民のことですから、神よりも、モーセを神のごとく奉り、またしても予期せぬ罪の結末を刈り取ることになったかもしれません。あくまでも推測ですが。
神のおことばは厳しいものがありますが、神はあわれみ深く、忠実な者によくしてくださるお方です。そして神のご計画は完全です。むしろ私たちが、執拗に何かを願い、自己愛に傾く時にこそ、むしろ一歩、その思いから退いて、私たちに最善を尽くしてくださる神を信頼し、神に全てを委ねる気持ちを持つことが必要でしょう。そして神が自分に与えられる使命を果たし終えたら、綺麗さっぱりとその功績から身を引く心を持ちたいものです。なぜなら功績は主の助けあればこそ出てきたものであり、私たちのものではないからです。神に栄誉を帰し、また、神に呼び出されるならば、喜んでその御用のために奉仕する。これが、神のしもべたる者の道です。では今日もよき一日であるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。約束の地に向かって、ヨルダン川東側の道を進んだイスラエル人が最初に渡った川は、ゼレデ川、アルノン川どちらでしょうか?答えは、ゼレデ川でした。では今日のクイズを一つ、アンモンとギルアデの自然境界となる川は、なんという名前の川であったでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
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