6章 神の箱の返還
1.ペリシテ人の検証
主の箱は、これを盗んだペリシテ人に災いをもたらし、悩ませました。そこでついに彼らは、これをイスラエルの陣営に返すことを決意するのです。しかしただ返そうとはせず、彼らは事の真偽を確認しようとしました。一台の新しい車を仕立て、くびきをつけたことのない、乳を飲ませている二頭の雌牛をとり主の箱と罪過のためのいけにえとして返す金の品物を一緒に引かせようとしました。もし雌牛が、本能に逆らって引き離された牛小屋に囲われた子牛を残して、ベテ・シェメシュに上って行けば、大きな災いを起こしたのは主の災いであったことを確認することになります。そうでなければ、まあ「偶然」に起こったぐらいに考えておけばよい、ということでしょう。
さて雌牛は、エクロンの南東、ユダの領地ソレクの谷に位置しているベテ・シェメシュへの道を、真っすぐに進み続けたと言います。つまり子牛を離れるはずのない雌牛が、右にも左にも曲がらずにイスラエルの陣営を目指して進み続けたわけです。ペリシテ人は、自分たちに災いをもたらしたのは、イスラエルの神であることをはっきりと悟る事態に直面しました。しかし、ペリシテの五人の領主たちは、そこでイスラエルの神の存在を認めながらも、自分たちの神を捨てて、イスラエルの神を信じることはありませんでした。不思議なものですが、人間というのは、そういうものなのでしょう。エジプト人とパロがそうであったように、神の災いに直面していると思いながらも、それとこれとは別、であるかのように、神を受け入れることにはならないのが人の現実です。それが物事はわかっていると言いながらも、実際には物事を完全に見通すことのできない人間の難しさでもあるのです。
2.ベテ・シェメシュの人々の悩み
さて、ベテ・シェメシュの人々は、神の箱が戻ってきたのを見て喜びました。小麦の借り入れをしていたのですから、時期としては5月から6月にかけてのことです。彼らはそこで、主に雌牛を全焼のささげ物として、献げたと言います。
しかしベテ・シェメシュの人々は、そこで箱の中を覗き、主に打たれてしまいます。19節。主の箱の中を「見た」は、「不敬な好奇心で見た」ことを意味するものです。これは死刑に値するものとして、禁じられていました(民数4:19,20)。ただ、ベテ・シェメシュは、レビ人の町であったので(ヨシュア21:16)、なぜ、こうした律法に反する行為を注意する祭司が一人もいなかったのかが、不思議です。またサムエルもこの事件に介入していません。サムエルは完全に表舞台の背景に退いているのです。
人間の誰が主役になるのでもない、ただ、神の臨在の象徴である神の箱の物語が、書き連ねられています。ベテ・シェメシュの人々は、この出来事に恐れ、神の箱を、キルヤテ・エアリムにたらい回しにしてしまいました。神を信じないペリシテ人はおろか、神を信じるユダヤ人もまた、自分たちのところから主の契約の箱を去らせようとした。これ以上災いが起こってはならない、と考えたのでしょう。そしてキルヤテ・エアリムの人々も、神の箱をそのまま、20年も放置していました。そこにはいたずらに神なる存在を恐れるだけで、正しくこれを理解しようとする信仰的な態度というものがありません。
3.神が働かれる時
ただイスラエルの民は神を慕い求めていました(7:2)。英語訳聖書では、「求めて悲しんだ」あるいは、「悲しみ、求めた」とあります。誰に教えられるわけでもない、しかし神を求める中で、徐々に求め方がわかっていく、何かが見えてくるということがあるものでしょう。クラスを設けて、合理的にあれこれ教えても人は育たなかったりするものです。ことに、知識ではなく、価値の教育である人の霊的な成長は決して、一朝一夕のものではなく、時間をかけてあれやこれやの出来事の中で、形作られていくのです。イスラエルが真の悔い改めと献身へと導かれるために、神が知識のあるサムエルを用いられず、このような状況に人々を放置されたことの意味を考えたいところです。全てが神のあわれみと恵みの中で起こっていることであり、神が機会を与え、それぞれに物事を成り立っていくのです。今日も、主が一人一人を今の状況において神に近づけてくださるように。そして主の癒しを、あるいは祝福にさらなる祝福を授けてくださるように。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。旧約時代のアシュドデは、新約時代では何と呼ばれたでしょうか?答えはアゾトでした。では、今日の聖書クイズを一つ、ベテ・シェメシュは、本来12部族のどの部族に割り当てられた土地だったでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。
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