ヨハネの黙示録11章 二人の証人の証
1.迫害の予告(11:1-3)
1節、「立って、神の神殿と祭壇と、そこで礼拝している人々を測りなさい」1,2節については、ルカ21章22節を背景としていて、エルサレムが異邦人に踏みにじられる、神殿破壊のことだと文字通りにとらえる説があります。しかし、この手紙が書かれたのは、AD1世紀も末、既にエルサレムの神殿はローマ帝国に破壊されていました(AD70年)。そしてユダヤ人は散らされ、四方の国々に離散していた状態でした。
となれば、ここで使われている「神殿」「祭壇」ということばは、象徴的に理解すべきものと言えるでしょう。共同訳では「礼拝している者たちを数えよ」となっていて、その方が分かりやすいように思います。つまり、神を信じる者、救われた者を数えよ、というわけです。ただし、異邦人、つまり神を信じない者はそのままにしておけ、と言います。そして、神を信じる者、救われた者が、踏みにじられるような状況が起こる、と言うのです。いわば迫害の予告です。しかしそのような状況の中で、キリスト者は証人として立ち続ける、というのです。二人というのは、旧約聖書では、証言が有効になるためには、必ず二人の証人が立たなくてはならないと定められているので、そのようになっているのでしょう。荒布を着るのは、しばしば悲しみ、嘆きを現わしています。つまり、福音の中には喜びをもたらす内容のみならず、それを受け入れない者に臨む災いと来るべき裁きを語らなくてはならない部分があり、それは、宣教者にとっては、悲しみであり、荒布を着ることと同じである、と言うわけです。
2.証を続ける(11:4-19)
4節、「彼らは、地を治める主の御前に立っている二本のオリーブの木、また二つの燭台である。」ここにも旧約聖書のイメージが使われていますね。これは明らかにゼカリヤ書4章を踏まえています。ゼカリヤ書では、二本のオリーブの木は、行政の最高責任者であるゾロバベルと大祭司ヨシュアを指していましたが、黙示録ではモーセとエリヤとする説がよいのでしょう。つまり、モーセは死んで葬られた者、エリヤは死なずに天に上った者の、代表です。キリストの再臨の時には、モーセに例えられる殉教者のよみがえりと、エリヤに例えられる地上に生きている人がそのまま天にひきあげられる出来事がある、というわけです。二人の証人は、福音のその祝福を語るのですが、誰も耳を傾ける者はいないわけです。むしろ二人の証人は迫害を受けて命を落としてしまう。そして、それを人々が、喜び祝うようなことが起こると言うのです(10節)。そんなことがあるのだろうかと思いますね。けれども、日本の歴史も振り返ってみると、切支丹摘発の踏絵の出来事は、一種の村のお祭りのようなものであった、とも言われていますし、第二次大戦の時にも、キリスト者がそのように迫害され、それによって喜ばれた時代があったことは確かなのです。
ともあれ、その迫害は永久ではない、と言うのがここで語られていることです。それは、時が満ちるまでです。11節の「三日半」はイエスのよみがえりの期間のこと。つまり、教会はたとえどんなに激しい迫害にあったとしても、消え去ることはない、必ず、復活し、そのメッセージの真実さが証されると言います。11節のことばは、エゼキエル37章、枯れた骨の谷の奇跡を描いた、有名な章を思い起こさせるものですね。迫害者たちの喜びと祝いも束の間、彼らは自分たちがした愚かな現実に目を覚まされ、キリスト者が伝えたメッセージの確かさに驚愕する事態が生じる、と言います。13節、大地震が起こり7000人の人が死ぬ。当時のエルサレムの人口は約10万人とされていましたので、7000人はその7%、かなりの数です。そのような思いもよらぬ事態が起こり、彼らはもはや神の存在を認めざるを得なくなると言います。
結局この「二人の証人」は、10章の苦難の中にあっても、神の御言葉を証しする生き方をせよ、ということへの補足として語られているのです。つまり、苦難は一時であり、この戦いは敗北で終わるものではない。キリストの十字架が敗北で終わらず、死人の中からの復活、そして神の右の座に引き上げられる高挙の勝利と変えられたように、神を信じ、神の前に正しさを求めて生きる者に起こることも同じである、と言うのでしょう。神は正しいお方です。そしてその神の御言葉に本当に生きている証人が、今の時代には必要とされているのです。神が本当におられるのなら、そこにしか希望を見出せない、そんな暗い時代があるものではないでしょうか。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「神のみ言葉を食べて、「それが楽しみとなり、心の喜びとなった」と語っている旧約の預言者は誰でしょうか?」答えはエレミヤでした(エレミヤ15:16)。では、今日の聖書クイズを一つ。「11章の二人の証人のストーリーは、旧約聖書のどんなストーリーを踏まえて書かれていましたか?」答えはまた明日、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!