出エジプト記32章

32章 区別を失ったイスラエル
1.金の子牛を崇拝する(32:1-6)
32章より、18章に続く、歴史的記録になります。つまり19章から31章までは、イスラエルの民に与えられた律法、またその精神を生かした、神の民として最も大事にすべき神礼拝の在り方を規定する、様々な教えが語ら得ました。
さて再び、歴史的な記録記事となるのですが、モーセは山に登り、そのまま40日経過したとされます。40日も彼は何をしていたのか、ひょっとして山で野垂れ死んでいるのかもしれない、彼らは、自分たちの先行きを心配し、不安を抱きました。そこには昼は雲の柱、夜は火の柱があったはずですが、それはもはや民に神の臨在と守りを感じさせるものというよりは、単なるシナイ山の日常の光景、自然現象と思われるものになっていたのかもしれません。ともあれ、彼らは神の時を待つことができず、もっと現実的な何かを求め始めました。しかしその何かは、彼らを安心させる象徴的なもの、偶像を作ることになるのです。人間は自分が作ったもので安心を得ようとする生き物かもしれません。偶像を作り、それを拝むことで安心する人、いや、そんな子ども騙しのようなものでは満足できず、実際的に、家を作り、財を築き安心する人、様々でしょう。神ではない何かモノを得ることで安心を得ようとする、これが人間の性なのかもしれません。ともあれ、モーセの留守を預かったアロンは、民に求められるまま、金の装身具でもって鋳物の子牛を形作り、これを神の象徴として礼拝することを許してしまうのです。彼は、まさに民の圧力に、大きな声に振り回される芯のない指導者そのものです。
2.とりなすモーセ(32:7-35)
神はこの事態に、モーセに山から降りるように指示しています。そして山から降りてきたモーセは、歌を歌う声を耳にしました。それは鋳物の子牛を礼拝し、飲み食いし戯れていた、まるで異教徒であるかのような乱痴気騒ぎの歌でした。先の30章で、彼らは聖霊の油注ぎを受けて、聖別された民とされたことを学びましたが、ここにおいて彼らは、バアルという偶像を礼拝する土地の人々と何ら変わることのない民でした。神は激しく怒りを発せられています。そして神はモーセに、彼らを断ち滅ぼすが、あなたは大いなる国民とされる、と仰せられました(10節)。注目しましょう。モーセにとっては、この神の約束は、不平不満に満ちた煩わしい限りのイスラエルの民を切り捨て、前途多難な職務を捨てて、自分と自分の子孫が祝福されることに集中する機会でした。しかしそこでモーセは、踏みとどまるのです。切り捨てるのではない、この民と共に生きると定めた心をどこまでも貫こう、と(へブル11:25)。まさに彼は神の人、神の側に立つ人でした。そこでモーセは神にとりなして言うのです。30節、「あなたがたは大きな罪を犯した。だから今、私は主のところに上って行く。もしかすると、あなた方の罪のために宥めをすることができるかもしれない」そしてさらに「今、もしあなたが彼らの罪を許してくださるなら、しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください」民に代わって神の責めを受けようとするモーセの姿に教えられるところでしょう。それこそ、神の側に立つことの意味、神のしもべである姿です。人はこのような時に、自己保身を考え、自分の身だけは守ろうとするずるい存在です。そのようなずるい人に出くわした苦い経験を思い起こす人もいるでしょうし、自らがそのようなずるい人になってしまった痛みを思い起こす人もいるでしょう。しかし、聖霊の油注ぎを受け、聖別されるというのは、そのような当たり前の人間の在り方とは区別された者となることです。まさに人が逃げる時に逃げない、逃げる機会を与えられても残された者を見捨てない、そのような道を人は選ぶことができるのであり、それは決して愚かな行動ではないと言えるでしょう。それは後の十字架のキリストにも見られた在り方です。ともあれ、モーセは、民が赦されるならいのちの書から自分の名が消し去られてもよい、と自分のいのちとひきかえに、とりなしをしていく。そういう人物であればこそ、神はモーセにイスラエルの民を任されたのだと言えます。主はモーセの真剣なとりなしと祈りによって、民を救われました。物事の本質を考えさせられるコロナ禍において思うところは、この時代を救う指導者は、まさにそのように、人の罪を自らの罪として悔い改め、神にとりなし祈る者である、ということでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「安息日に関する戒めは、十戒の何番目にあるものでしょうか。」答えは、第四戒でした。では、今日の聖書クイズを一つ。モーセが口にした「いのちの書」は黙示録では何と呼ばれていますでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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