創世記39章

●39章 ヨセフの試練
1.ヨセフの物語の位置づけ 
38章のユダとこの章のヨセフは、イスラエル史で極めて重要な存在です。ヨセフは、やがてエジプトの大臣に抜擢されますが、霊的な意味でイエスの系図に与ったのはユダです。アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフではなく、ユダなのです。イスラエル史を見ると、出エジプトの出来事の後、しばらくヨセフの子孫がイスラエル全体のリーダーシップをとっていたことがわかります。しかし王国時代以降、ダビデ以降、その霊的なリーダーシップは、ユダ族に変わっていくのです。
しかしながら創世記の著者は、ヨセフの生涯をこれから約10章にわたって長々と取り上げています。その意図は、イエスの系図を示すためではありません。むしろ、ヨセフの生涯をヤコブの生涯に組み込み(37:2)、アブラハム(12:1-3)、イサク(26:4)、ヤコブ(28:14)と繰り返された「神の祝福のことば」が、どのようなものであるのか、一つの家族の美しい物語を通して提示することにあります。
2.奴隷となったヨセフ(39:1-20)  
エジプトに奴隷として売り飛ばされたヨセフはポティファルという侍従長に拾われました。聖書は繰り返し「主がヨセフとともにおられ」たと記し、それによってヨセフが「幸運な人」になったこと、あるいは、「主が彼のすることすべてを成功させて」くださったと語ります。しかしヨセフは、さらに、奴隷から囚人へと転落し、普通に見たら不幸のどん底に落ちていくだけで、こんな人生の何が幸運なのか、と思わされるところです。
ヨセフを買い取ったポティファルの妻は、おおよそ、奇特な夫には似つかわしくない好色な女性で、ヨセフを誘惑しました(10節)。ヨセフは、それが主人を裏切るだけではなく(8節)、神に罪を犯すことになる(9節)と理解し、これを拒絶しました。聖書は主がヨセフとともにおられたと語りますが、ヨセフもまた主と共に生きることを心掛けていたわけです。異教的な慣習と信仰に染まっていくユダと、対照的なまことの神を信じるヨセフの姿があります。しかも、ヨセフは自分の弱さを心得た謙虚な人間です。10節、彼は、「そばに寝ることも、一緒にいることもしなかった」とあります。自分の弱さを覚えればこそ、不器用と思われようが、精一杯の努力をしたのでしょう。けれども、そのように、神の前の真実に生きようとするヨセフの耳に響いたのは、天使の賞賛ではなく、逆恨みしたポティファルの妻の悲鳴であり、ポティファルの誤解と激しい怒りだったのです。まあ、大方物事はそうなるものですが、ヨセフは釈明する機会も得られずに監獄に投げ込まれてしまうのです。幸運な人と呼ばれるヨセフに起こった人生は、そのようなものでした。彼の栄誉はそんなに長くは続かず、さらに彼は足と首に「鉄のかせ」を嵌められて収監されていたのです(詩篇105:18)。
3.復活の前の十字架のごとく(39:21-23)
にもかかわらず聖書は言うのです。「主は彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださった」と。(23節)。こんな状況のどこが、と思うところでしょう。ヨセフにとっては、不本意にねじ伏せられるような出来事の連続です。何も、このような人の憎しみをぶつけられて人生を翻弄されるような状況に追い込まなくても、と思わされるところです。しかし、人の人生など生き抜いてみなければわからないということなのでしょうか。こうしてヨセフが囚人にならなければ、ヨセフが大臣になるきっかけを与えた人物との出会いもなかったことでしょう。ヨセフの新しい未来が開かれるためには、なくてはならない茨の道でした。それはイエスの復活の勝利が、十字架の死を受け入れることなくして起こりえなかったのと同じです。私たちには理解しがたいことですが、しばしば、神の栄光の輝きは、苦難を通り抜けることで得られるのです。こうして私たちは、神がただ無駄な人生を人に歩ませることはないと、確信すべきことを教えられます。そうであればこそ、試練にあっても、慌てず、なすべきことを淡々となし、スマートに生き抜いていきたいところでしょう。私たちの未来には、主の最善のご計画がある、と主に信頼し、主にゆだねながら、今日の一日も歩ませていただきたいところです。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「ヨセフが売られたイシュマエル人の商人は、他に何人と呼ばれることがありましたか?」答えはミディアン人でした。イシュマエル人は、遊牧民の総称ですが、ヨセフの物語ではミディアン人と同一視されています。では、今日の聖書クイズを一つ、イエス・キリストの系図の中に出てくる、もう一人の遊女の名は何でしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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