創世記42章

42章 ヨセフと再会する兄弟
1.飢饉が起こる(42:1-5)
 パレスチナに起こった飢饉は、神の御手の業によるものでした。一見、一人の人間とはなんら関係がなさそうな自然現象や社会変動が、その人の家族や職場に大きな影響を与えることがあります。聖書ははっきりと、それらは神の仕組まれたことで、ヨセフに起こったこともその例であることを示しているのです。そのように、世の中に起こっていることを見ていくならば、私たちはもっと、物事を神に委ねて考えることができるようになるのではないでしょうか。というのも、今日家族に起こっている複雑な問題は、家族の誰かが変われば解決するというようなものではありません。家族に起こっている問題を解決するために、問題を引き起こしている犯人を特定し、その犯人を矯正していくことで家族がよくなるかと言えば、そうではありません。というのも現代の家族の問題は、社会の問題とも複雑に絡み合っているからです。そのような意味で、社会が動かされて変化を起こすことで、家族が変わっていくこともあるのです。
エジプトに起こった飢饉はパレスチナをも巻き込みました。穀物不足のために、ヤコブの家族がエジプトに蓄えられた穀物を求めざるを得ない状況を作り出したのです。しかし、既に約20年もの歳月が流れていたと思われます。ヤコブにとっても、兄弟たちにとっても、ヨセフはとうの昔に死んでしまった存在でした。しかしそのヨセフが生きていて、今やエジプトの大臣となって、兄弟たちと再会する奇妙な出来事が生じるのです。ヨセフは、自分に向かってひれ伏す兄弟たちを見下ろしながら、かつての夢を思い出したことでしょう(37:6-11)。兄弟たちはヨセフの夢をあざけりましたが、それが神から出たものであったために、夢は語られたとおりに実現したのです。
ヨセフは、兄弟たちが気づかぬことをいいことに、荒々しく振舞い、スパイ扱いまでしています。それは、ヨセフににわかに起こった復讐心の故でしょう。しかしヨセフは神の人です。ヨセフは、かつての夢を思い起こしながら、それが単にヨセフが家族の拝礼を受ける出来事を予告したのではなく、ヨセフを通して家族が再び一つにされるという回復のメッセージであったことに思い至ったのではないでしょうか。かつて曾祖父のアブラハムが神に「地上のすべての民族はあなたによって祝福される」と言われた「神の祝福のことば」は、祖父イサク、父ヤコブへと受け継がれ、さらにヨセフにおいて、このように実現した、つまりヨセフを通して家族が祝福されるという事態を生み出したのです。
日本には、家族内に問題を引き起こすような子どもを「宝息子」と呼ぶ習慣があったと言います。その子は、問題児なのではなく、宝息子、家族を一つにし、家族にさらによい絆をもたらす息子というわけです。問題児であろうとなかろうと、私たちが家族の、職場の、あるいは近隣の祝福の源となるというビジョンを持つことは大切でしょう。実に、キリスト者こそ、神の祝福のことばの夢を受け継ぐ者なのです。
2.心を開けないヨセフ(42:6-38)
ヨセフが彼らのことばを理解しているとも知らず、兄弟たちは、昔の事件について語り始めました。事の真相が明らかにされていきます(22節)。ヨセフは、皆が敵だったのではなく、長子のルベンは彼を守ろうとしていた、しかしできなかったことを知りました。ヨセフは心を動かされていますが、そこですぐに心を開くことができないでいます。そして暴君のように、シメオンを人質にし、弟のベニヤミンを連れてくるように言い渡し、兄弟をカナンに帰すのです。ヨセフの複雑な思いがそうさせたのかもしれません。ヨセフは長子をマナセと名づけました。マナセが誕生したことで、「神がすべての労苦と父の全家とを忘れさせた」からです。兄弟たちに売り飛ばされた悲しみ、そしてエジプトで濡れ衣を着せられて投獄された苦しみ、様々な痛みを忘れさせてくださったということです。また、後ろ向きに家族を回顧して生きていたその姿勢に踏ん切りがついたということでしょう。しかし、実際には、そう思っていただけで、心の奥底にはまだ深い苦しみの火種が残っていたのです。一方、ヨセフは夢を思い起こし、もう一度家族を回復させる機会が訪れたことを感じたはずです。実際ヨセフは、エジプトの大臣となった後、自分の家族と再会しようと思えばいつでもそれができたはずです。ところがそうせずに来たのは、ヨセフが、自分を売り飛ばした兄弟も、さらにはそのような事件を引き起こす要因を作った父の態度も赦せない思いでいたからではないでしょうか。また、そのような家族との関係が明らかになり、その評価次第ではせっかく手に入れた幸せが失われる心配もあったのかもしれません。ヨセフは心を開きませんでした。しかし、神が力強い御手をもってヨセフの心を動かしていくのです。私たちの思いを超えて、私たちの行動を動かす神がいます。私たちが閉じこもろうものならば、そこから引きずり出す神がいるのです。奴隷から囚人へ、そして大臣へ、さらに家族愛に立つ一人の人間へ、いったい誰がこんなヨセフの人生を予測できたことでしょうか。神が私たち一人ひとりに持っておられる計画も実は同じです。私たちの思いを超えた神の御手の業が、私たちの身近で起こっていることを信頼しつつ、今日も歩ませていただきましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「エジプトの王はファラオと呼ばれますが、もともとファラオは何を意味していたでしょうか?」答えは「大邸宅」です。ファラオは「大きな家」という意味であり、大邸宅に住む者を指していました。では、今日の聖書クイズを一つ、ヨセフの人質になったシメオンの母は誰で、何番目の子であったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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