●48章 ヤコブの遺言
1.病気になったヤコブ(48:1-7)
ヤコブは、エジプトで時を過ごしますが、病気となり、天の神のもとに帰る時を迎えました。彼は力を振り絞って床の上に座り、語ります。全能の神はカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して仰せられた」(4節)と。ヤコブは「全能の神」との出会いを思い起こすのです。すべてはそこから始まりました。そしてその神は「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」(15節)です。しばしばヤコブは困難な人生を強いられました。しかしその時々に、ヤコブは神の守りと助けを得てきました。神は羊飼いとして、また全能の神として、ヤコブと共にあったのです。しかしそこには、4節、約束の地を永遠の所有とする目的がありました。彼らはエジプトから約束の地カナンに戻らねばなりませんでしたが、このことばが実際に、生きてくるのは、ずっと後の時代のことです。
ともあれ、5節、ヤコブはヨセフの子マナセとエフライムを自分の子に数えようとしています。後に、ヤコブの子孫が、イスラエルの民となり、約束の地カナンに戻ってきて、土地を分割した際には、マナセとエフライムがヤコブの子の子孫12の部族に加えられ、数えられているのは、この理由によるのでしょう。
2.ヤコブの祝福(48:4-22)
さてヤコブは、見舞いに来た、ヨセフの家族、ことに二人の息子に気づいて、彼らを祝福しました。その祝福の祈りは、どうも、ヤコブが父イサクから受けた、長子が受ける、神の祝福のことばを意識したものなのでしょう。しかし、祈っていることは、自分が祖父アブラハム、イサクの正統なラインに加えられることです。そして、マナセとエフライムがその継承者であり、ことにエフライムが祝福されることです(16節、20節)。ヤコブは、手を交差させ、弟のエフライムにその祝福が受け継がれることを期待しました。
後に、エフライム族から、イスラエル北王国の最初の王ヤロブアム1世が現れ(1列王11:26)、やがて北王国イスラエルはエフライムとすら呼ばれるようになりました(イザヤ7:2等)。実際、エフライムはパレスチナの中央部に位置し、礼拝の中心地シロ、ベテルや(1列王12:32)、北王国イスラエルの首都シェケムがありました(エレミヤ31:18)。
確かに、ヤコブの祈った通りに、神の祝福はあったというべきでしょう。何の益もない祈りというものはないのです。けれども、神のご計画は、必ずしもヤコブが考えていたとおりではありませんでした。
22節、ヤコブは、ヨセフにシェケムの地を与えようと語ります。ヤコブは、シェケムを「剣と弓で」得たという言い方をしますが、実際には、お金を払って買い取った土地です。つまり、正当な手段で、彼がパレスチナに得た唯一の土地でした。エジプトの大臣となり、エジプトで最もよい地、ゴシェンの地にあったヨセフにとって、シェケムなど二束三文の土地であったはずです。ヨセフは父のことばをどう受け止めたのかと思います。ヤコブにとってそこは思い入れのある「先祖の地」であっても、ヨセフにとっては幼少期を過ごした思い出の地でしかなかったと思われます。そしてそれは、心に留めはしても、聞き流す類のことばであったのではないでしょうか。けれども、このような親子の会話とは別に、神の計画は、シェケムどころか、ヤコブの子孫がパレスチナ全土を支配することにありました。この時はまだ、誰もそのようなスケールのでかい神の計画など考えもしなかったと思います。
つまり、これから聖書が記録することは、ヤコブが思い描いたようなものではありませんでした。ヤコブは神のみこころを思い、神のみこころに生きているつもりでしたが、神のみこころは、ヤコブの思いをはるかに超えたものとして進められていたのです。それは、私たちについても言えることでしょう。人に神のみこころは知り尽くしがたいものがあります。ある意味で、いかに謙虚に、神のみこころを考え抜かねばならぬかを教えられるところです。そして同時に、信仰をもって子を祝福することも教えられるところです。子どもを見れば色々と足りないところだらけで、気を揉むことも多々あるでしょう。しかし親が子にしてあげられることは、愛情を注ぐことであり、祝福することをおいてほかにありません。現実ばかり見るのではなく、子の将来に主の確かな祝福があることを覚えて祈り続ける、そして「分かっている、わが子よ。私にはわかっている。しかし、その子孫は国々に満ちるほどになるであろう」と大胆に子の祝福を祈るものでありたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「聖書の歴史の中で、牧畜が本格的になったのは、誰の時代からでしょうか?」答えは、ヤバル(創世記4:20)でした。家畜を飼う習慣は人類の歴史のごく初期からあったと思われますが(創世記1:24、4:2)、牧畜が本格的になったのはヤバルの頃からです。では、今日の聖書クイズを一つ、イスラエルが約束の地カナンに入植した後、士師と呼ばれる人々によって統治される時代が来ますが、その時現れたマナセ族出身の士師は誰でしょうか。答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
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