2章 キリストへの従順
1.新しい自覚(2:1-12)
本章は、いかにキリストに倣って、聖さを深めていくべきか、その具体的な勧めです。やはり聖さは、日々の生活、心の姿勢、態度、生き方に関わるものです。
①憎しみ、善人ぶること、不正直、ねたみ、陰口はやめる(2:1)
②やめるだけではない。人にいのちを与え聖める、神のことばを慕い求めることです。神に近づき、神と出来るだけ多くの楽しい時を過ごすことが、聖い人格を作る秘訣です。
③そして新しい自覚を持ちなさいと言います。ペテロがそうでした。ペテロはイエスと出会い、イエスにあなたはケパという名だが、これからはペテロと呼ぼう、と言われました。新しい名を授けられ、その名の意味を大切にして生きたわけです。その記憶からペテロは、読者が自分をどのように見なすべきかを、語っていきます。第一に、あなたがたは、「生ける石」「要石」だと言います。もはや捨て石ではありません。なくてはならない存在です。そして「選ばれた者」だと言います。「要石」だとか、「選ばれた者」だとか、やけに持ち上げてくれますが、何か気おくれしてくる人もいるのではありませんか。確かに、この世の社会では、人は実際の功績や能力でその人の重要さを決めますし、選んでいくものでしょう。しかし神は、それを度外視されるようです。実際パウロに至っては、私たちは生まれる前に、つまり人生に功績など一つも積むはずもない時から選ばれている、とすら言っています。つまり神は、私たちの存在そのものを大事に思っていてくださるのです。そこで、ペテロは、さらに私たちが持つべき新しい自覚に「祭司」という言葉を加えます。すべてのキリスト教信徒は牧師ではありませんが、祭司です。祭司の三大職務は、祈ること、いけにえをささげ、とりなすことですが、その働きを担うのです。教会で祈ること、奉仕すること、証しすること、これは信徒の大切な務めです。そして「聖なる国民」という自覚を持つ。ペテロは、変貌山という山で、神の聖さについて体験的に教えられたことがありました(マルコ9:2-8)。それは人間の社会には全くないもの、そのような新しい聖さを持って生きる者だというわけです。今の自分の人格をちまちま磨くこととは別物の生き方です。そして「神のものとされた民」だと言います。私たちは神との深い結びつきに生きる者です(ローマ8:38-39)。また「哀れみを受けた者」確かにペテロこそイエスの哀れみの深さを味わった者はいないでしょう。イエスは、ペテロが裏切ることをわかった上で、ペテロを大事に育てられました。神は私たちの悪いところも分かった上で、私たちを愛し、私たちと共にいてくださるのです。また「寄留者」と呼ばれます(11,12節)。ペテロは、私たちが、この世にあっては、一時的な寄留者であると言います。つまり旅人のような者なのだから、肉欲を遠ざけ、積極的に、立派に振る舞うべきだ、と言います。以上、このような新しい自己認識が、私たちの人生を変えるのです。
2.今の世にあって神の聖さに生きる(2:13-25)
13節以降、ペテロは、迫害下にある兄弟姉妹に向けて、まず、善良な市民であり(13-17節)、労働者であることを勧めています(18-25節)。大切なのは、罪を犯すように命じられた時以外はすべての制度に服従せよ、と命じられていることです(13,14節)。善良で優しい主人だけではなく、意地悪な主人にも従え、と言います。大切なのは、単に不当な苦しみとそれに伴う悲しみを耐えるのではなく、神が最終的にすべての悪を矯正し、よきに導いてくださるという信仰に立つことです。キリスト者の従順は目的のない、出口のない忍従ではありません。そこによき結果を期待し、神の業がなされることを期待しての従順なのです。全人類の罪の赦しのためにご自分のいのちをささげられた、イエスの足跡に従うのがキリスト者なのです(21節)。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「ペテロのもともとの名前は、何であったでしょうか?」答えは、シモン、ヘブル語ではシメオン、シモンはギリシア語の呼び方です。イエスに出会ってペテロという名を授かったのですね。では、今日の聖書クイズを一つ。ペテロの兄弟の名前は何と言いましたか。答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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