22章 異教の預言者バラムと神との出会い
1.イスラエルに脅威を抱くモアブの王バラク(22:1-4)
シホンとオグを征服したイスラエルに、モアブの王バラクは脅威を感じたのでしょう。彼は、ミデアンの遊牧民に支援を求めて対抗しようとしました。しかし、モアブとミデアンの連合軍は、それほど強力ではなかったため、モアブの王は、もはや超自然的な力、つまり神々の力を借りる以外にこの脅威を打破しえないと考えたようです。
2.招かれた占い師バラム(22:5-35)
そこで彼は占い師バラムを呼び出すのです。バラムは「あの大河のほとりのペトル」の地に住んでいました。そこは、ユーフラテス河畔のペトルと考えられていますが、新改訳が「同族の国」と訳したことばは、固有名詞「アンマウ」、つまり北シリアの一都市とも考えられ、さらに、サマリヤ写本とウルガダ訳がこのことばに「n」を加えて固有名詞の「アンモン」としているところから、モアブの北側に位置するアンモンではないか、その方が距離的にも可能性があるのではないかと考えれています。
ともあれこのバラム、民数記の他、新約聖書にも登場します。そして新約聖書では、神に仕えるよりも金銭を愛した俗人としてネガティブなイメージで度々引用されています(2ペテロ2:15、ユダ11節)。実際バラムは、ここでイスラエルを呪うためにモアブの王バラクにお金で買収されているのです。神が彼に現れて、「彼らと一緒に行ってはならない。またその民をのろってもいけない。」と告げられていながら(12節)、一度は断ったものの、再び訪れた交渉団の高額の報酬に心を動かされて、交渉団を一晩泊めて、神の譲歩を期待し、神のことばを再度求めているのです。バラムの神に対する姿勢は、一見神に忠実のようでありながら、実際はそうではなかったということです。だからこそ、21節以降、主の使いが抜き身の剣を手に持って彼の前に現れても、彼はそれに気づくことができなかったのでしょう。彼は、預言者と呼ばれてはいても、エリヤのごとく、まことの神と共に生きる者ではありませんでした。そこでバラムは、ロバが口を利く、実に奇妙な体験によって神に戒めを与えられ、たとえ一緒に行っても呪いは語らないことを確認させられるのです。
3.歓迎されるバラム(22:36-40)
モアブの王バラクは、やってきたバラムがイスラエルを呪うことを期待して、大いに歓迎しました。しかし、神に戒められたバラムは、神のみこころに従う心を既に固めていました。
二つのことが教えられます。やはり神のみことばに使える者は、利益によってではなく、ただ神の語ることをそのまま伝える姿勢を貫くことでしょう(38節)。預言者は、神のことばを託され、神の言葉を語るところに使命があります。牧師も同じです。牧師も使徒パウロがはっきりと語ったように、神のことばに混ぜ物をせず純粋に、そのまま語っていくことが大切です(2コリント2:17)。また、人の呪いを気にしないことです。バラクはバラムにイスラエルの民を呪わせて、勝利を得ようとしました。しかし、神は人間の呪いを祝福に変えることのできるお方です。詩篇にはこうあります「彼らは呪います。しかし、あなたは祝福してくださいます。~(略)~私は、この口で、大いに主に感謝し、多くの人々のただ中で、主を賛美します。主が貧しい人の右に立ち、死を宣告する者たちから、彼を救われるからです。」(109:28-31)私たちの人生を呪い、脅威を与えようとする者がいても、恐れないことです。私たちが信じる神は呪いを祝福に換えてくださるお方だからです。
そのような意味で、21章からは、イスラエルに対抗する様々な民族の動きに神がどのように介入してくださったかを見ていくことになります。イスラエルの周りをどのような敵が囲み、呪いをかけようとも、神は、その呪いを祝福に、恥を栄誉に換えてくださることを確認することになります。神はご自身を信じる者、従う者に祝福を約束されています。いや、私たちを祝福するのみならず、私たちを通して私たちの周囲にまでその祝福は広がると約束しておられます(創世記12章)。実際後で見るように、バラムのことばは、イスラエルの祝福の広がりを確認するものとなりました。どんな不幸続きであっても、落胆し、不満を抱かないことです。神は必ず約束を守られるお方であると信頼することです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。イエスが青銅の蛇を使ってニコデモに、永遠の命を得る方法について教えられた記事は、どの福音書に書かれているものでしたでしょうか?答えはヨハネの福音書です。では今日の聖書クイズを一つ。死海の中腹に注ぎ、シホンやアンモンとモアブの自然な境界となっている川の名はなんでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
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