申命記19章 それはあなたのためになる

申命記19章  のがれの町

1.のがれの町(19:1ー13)

約束の地、カナンの地を占領し、そこに定住するようになったら、その地を3つの区域に分け、それぞれに「のがれの町」を定めるように、と教えられています。「のがれの町」は、過失によって殺人を犯した人が、適切な裁判もなく復讐によって、殺される悲劇を避けるためのものでした。疑わしきは罰せず、彼らは、故意、計画的な殺人者とは同等に扱われてはなりませんでした(民35:16-21)。はっきりと確定できないことで、神に与えられた人の命が粗末にされるようなことがあってはならなかったのです(10節)、古代は、現代よりも人権意識の低い時代という印象がありますが、そのような時代に、人間尊重の姿勢を打ち出す国家を造り出す、これが、神の期待されていたことでした。こうして、出エジプトは、ただ、哀れな奴隷たちが神の力によって解放されたという神の愛を語る物語に終わらず、人類が本来求めるべき新しい国家について、神のビジョンを語るものとなっているのです。

そこで「のがれの町」は、実際に、ヨルダン川の東側について言えば、ルベン族の領地内、東部の台地の荒野にあるベツェル、ガド族の領地内、ギルアデのラモテ、マナセ族の領地内、バシャンのゴラン、の三つが定められました(4:41-43)。またヨルダン川の西側については、フーレ湖の北西ナフタリ族の領地内、ケデシュ、ゲリジム山の東山麓、エフライム族の領地内、シェケム、そしてユダ族の領地内、ヘブロンが定められました(ヨシ20:7-8)。だいたい、町と町の間の距離は、直線にしてケデシュからシェケムまで100キロ、シェケムからヘブロンまで80キロの距離、当時の人々は、1日に約40キロ歩いたとされますから、約2日で逃げ込める距離だったと考えてよいのでしょう。

なおこれは、イエス・キリストにある罪の赦しの予表としても語られることがあります。つまり、イエス・キリストは罪人にとってののがれの町で、イエス・キリストの十字架に逃れる時に、私たちは神の怒りから守られ、神の責めから解き放たれるからです。イエス・キリストに私たちの罪の赦しがあり、守りがあるのです。

2.境界線(19:14)

14節、話題は転じて、相続地にむやみな変更を加えてはならないと命じられます。これは極めて厳しく守られた命令でした。土地は主のもの、主に与えられたものを、人間の都合で勝手に変えてはならない、ということなのでしょう。

3.裁きの証言(19:15ー21)

最後に、不正な裁判をどのように取り扱うかが語られます。どんな罪も、1人の証人の告訴によって裁かれるようなことがあってはなりませんでした(15節)。2人あるいは3人の証言が必要なこと、悪意のある証人が立って、不正な証言をし、偽証が立証されるなら、その人が企んだとおりのことが行われるからです(19節)。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足(21)という、法律上、同害報復法という考え方が述べられていますが、これは、裁判は、公正、適正なものであることが求められる、ということであって、復讐を肯定しているわけではありません。多くの人は、「目には目を」ということばをそっくりそのまま仕返しをすればよいと理解していますが、それは誤解です。また、新約聖書においてイエスは、公正、適正な裁きはもちろんのこと、人間の間に起こる悲劇や相克を、愛をもって譲り合い、乗り越えるべきことを勧めています(マタイ5:38-42)。しかし、昨今起こっている戦争の出来事を見るにつけても、こうした神の愛に立って物事を解決しようとする人は、まずいない、と言えるのではないでしょうか。しかしそれが人間というものです。それが神を認めない人間の罪性というものです。神の愛に立つ人生、また、命であれ土地であれ、神に与えられたものを尊重する人生は、神を認めることがあればこそ起こりうることです。では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。旧約時代に、まだ用いられていなかったと思われる占いの方法はどれでしょうか?①杯、②夢、③肝、④矢、⑤テラフィム、⑥タロット、答えは、⑥タロットでした。旧約時代よく用いられた占いの手段は、杯(創世記44:5)、夢(エレミヤ23:25)、肝、矢、テラフィム(21:21)などで、当時の人々は、自分たちの人生の方向付けを、これらの占いによって判断したのです。では今日の聖書クイズを一つ、のがれの町に逃げた人が、自分の町に帰ることが許されるのは、過失が立証される以外にどのような場合があったでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

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