申命記20章 恐れてはならない

申命記20章  聖戦のための戦闘方針

1.出陣の心得(1-4節)

これまでイスラエルの民は、神の力強い御手でエジプトから引き出されたり、天から降るマナによって荒野の40年を過ごしたり、と神の奇跡に与る人生を歩んできました。しかしここに至り、彼らは、積極的に、先住民と激しく戦い、自ら勝利を勝ち取る人生へと向い合せられるのです。約束の地は、戦って勝ち取り、占領しなくては与えられなかったのです。そこで神は1節、「馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない」「エジプトの地から連れ上ったあなたの神、主があなたとともにおられるのだから」と言います。さらに、3節、「弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおののいてはならない。あなたがたの神、主があなたがたとともに行って、あなたがたのために敵と戦い、あなたがたに勝利を得させてくださるからである。」と言います。

しかし、現実は、そうは言われても、あまりにも力の差が歴然とし、自分が弱すぎる、残念ながら戦いに向かう勇気がない、ということがあるものでしょう。事実イスラエルがカナンに侵入して後、最初に遭遇したのは戦車を利用していたカナン人でした。馬と戦車はイスラエルの民にとってはトラウマであり恐怖でした。彼らはエジプト脱出の時に、後から追いかけてくる「馬や戦車」によって大いに脅かされたのです(出エジプト14:9,23)。そして彼らには、その馬も戦車もありませんでした(ヨシュア11:4,6)。しかし、神に従う者は、目に見える現実ではない神の可能性にかけて生きている者でしょう。エリシャのしもべが目を開かせられたように、私たちの霊の眼がはっきりと開かれ、私たちに加勢する主の軍勢があると、神を信頼することです(2列王6:17)。不信仰の故に、荒野を彷徨い続け、得るべき物をも得ずに終わってしまう人生であってはならないのです。恐れて退く者ではなく、信仰を持って、主が与えられるものを得ていく人生を踏み進むことです。

2.兵役免除の規定(5-9節)

次に兵役を免除される場合についての規定が述べられます。①新しい家を建てて、まだ奉献していない者(5節)、②ぶどう畑を作って、まだ収穫をしていない者(6節)、③婚約して、まだ結婚していない者(7節)は兵役を免除されます。それぞれ、主に与えられた祝福を味わうためです。またそれとは別に、恐れて弱気になっている者(8節)、つまり意気喪失している者も兵役を免除されました。それは、全体の士気に影響を及ぼすためなのでしょう。

3.町の攻略方法、包囲戦(10-20節)

最後に、戦争の進め方が述べられています(10-20節)。まず降伏勧告です。「降伏」と訳されている原語はシャロームなので、まず平和的な交渉を求めるということでしょう。実際の戦争というのは、先手必勝、制空権を制し、空爆を繰り返し、優勢になったところで地上戦で占領すべきところをことごとく占領して、力の優劣を見せつけて、ようやく和平交渉、実に卑怯な侵略を正当化するやり方ですが、ここで教えられているのは、まず外交努力、それからやむなく戦争という教科書的なやり方です。ただ、考えさせられることは、馬や戦車を持っている強国に向かって「降伏」を勧める点です。約束の地を返してくれという交渉をして、最終的に戦争になっても勝ち目のない相手に申し出るのです。結局、神の力を味わうというのは、自分で買って出た戦争を戦うことではなく、神のみこころに従い、やむなく戦争になった時に、そこには神の助けがあると信頼するところにあるのでしょう。自分で買って出た戦争か、それとも神のみこころに従う戦争か、それは大きな違いです。

大切なのは、戦うという具体的な事の中にも、神の民としてあり方がある、神の民らしい物事の進め方がある、ということでしょう。信仰は、まさに生き方であり、物の考え方です。それは、精神力ではなく、本来人間が大事にすべきありかたを守り、それを実践する歩みでもあるのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。のがれの町に逃げた人が、自分の町に帰ることが許されるのは、過失が立証される以外にどのような場合があったでしょうか?答えは、その町の大祭司が死んだ時でした(民数35:16-28)。そこには贖い、つまり身代わりの死の思想があったとされます。では今日の聖書クイズを一つ、イスラエルで使われた戦車は、何人乗りであったと考えられているでしょうか?①一人乗り、②二人乗り、③三人乗り、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<天草さんのフォローアップ>

パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/

私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!