申命記23章 すべての手の業を祝すために

申命記23章 祝福されるために

1. 主の集会の会員(23:1-8)

イスラエルの民は、少なくとも年に三度、主の前に集まり集会を開きます(16:16)。その他、戦いや年毎の例祭など、様々な目的のために集まりましたが(士師20:2)、彼らはその度に、礼拝を行うのです(4:10、9:10、10:4、18:16)。この集会に出席が認められない者が定められています。何か排他的なイメージもありますが、とりあえず、どのような人を規制しているのかを見てまいりましょう。まず、1節「睾丸のつぶれた者、陰茎を切り取られた者」、つまり、異教的な祭儀に関わって、自らの生殖器に何らかの傷をつけた者のことです。深く異教に傾倒した者は除外する、ということでしょう。また2節「不倫の子」は、関根訳では「雑種の子」とされており、ロトとその娘たちの間に生れた子孫アンモン人とモアブ人を意味しました。何か倫理的な規制を示しているのか、というとそうではなようです。彼らが神の民に加えられない理由は、エジプトを脱出してきたイスラエル人を迎え入れようとしなかったためです。ですから一方で、「エジプト人を忌み嫌ってはならない」、とイスラエルを拒絶しなかった民については寛容です。こうしてみると、神の民に加えられない者の判断は、深い異教性と神の民に対して拒否的か否かにあるようです。

今日「主の集会」は教会に置き換えられるのかもしれませんが、そこでは、エチオピアの宦官が加えられているように(使徒8章)、去勢したか否かは大事ではありません。主の前に悔い改め主を求めるのであれば、誰一人拒まれることはありません。イエス・キリストの時代にあっては、誰もが、この主の集会に加わることができます。イエスが十字架につけられた際に、神殿の幕が避け、岩が避けたのは、神と人との隔ての壁、人(ユダヤ人)と人(異邦人)との隔ての壁が取り除かれたことの象徴です。主の集会に加わることに何か条件を付けることは、福音の性質に反するのです。

2.種々の社会規定

1)陣営の清潔(23:9⁻14)

敵に対して陣を張る時は、その陣営を汚さないようにと命じられます。特に精の漏出と排泄物について注意が促されています。それは、神がその民とともに陣営の中におられる、という考え方のためでしょう(14節)。神がおられるところに相応しい姿勢、態度というものが求められているのです。

2)逃亡奴隷の保護(15⁻16)

次に、逃亡奴隷を見つけたなら保護するように命じられています。逃亡奴隷に対して残虐な仕打ちをするのが、当時の慣例であったことからすれば、ここは神の民の新しい倫理というべきでしょう。

3)お金の使い方(17⁻20)

同じように当時、当たり前に行われていた、神殿男娼つまり犬、や娼婦つまり遊女の稼ぎを神に献げるようではいけない、と言います。神に献げるものは、神に献身した生活によって稼がれたもの、ということでしょう。そして、同胞から利息は取らないという考え方。ネヘミヤの時代、実際にこの問題が生じていますが(ネヘミヤ5:7)、イスラエルの民にとって同胞にお金を貸すのは、同胞を助けるためで、利益を得るためではないというわけです。

4)誓願の実行(21⁻23)

神に誓う場合は、遅れずに果たす努力をし、できないことは誓わない、責任のある生き方を求めています。

5)物事の限度(24-25)

最後に、物事の限度を教えます。イスラエルでは、ルツ記がそうであるように、モノを持たない貧しい者を保護する感覚が大事にされましたが、他方、持つ者の権利にも配慮がなされたのです。人の好意につけ込んではいけない、物事には限度があるものです。ここまでなら大丈夫、これ以上は遠慮というものがある、そのような良識感覚がしっかりしている、これが、神の民の共同体であり、教会なのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。ユダヤでは結婚が承諾されると花嫁料を払うしきたりがありましたが、これを労働奉仕に換えて支払った旧約の人物は誰でしょうか?答えはヤコブでした(創世記29:18)。花嫁料の形態は現金、金銀、宝石、その他貴重品、衣装など様々でしたが、ヤコブは、労働奉仕でもって花嫁料を支払いました。では今日の聖書クイズを一つ、エドム人は、誰の子孫とされているでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<天草さんのフォローアップ>

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