28章 サムエルを呼び出したサウル
<要約>
おはようございます。窮地に立たされる二人が描かれて行きます。ダビデも、サウルも共に窮地に立たされていく。しかし、その窮地の結果を定めるのは、それまでにいかに神との関係を築いてきたかにあることを改めて思わされるところです。神と良き時を過ごす日々がいかに大切かを覚えたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.追い詰められたサウル
ダビデは、アキシュの護衛になり、イスラエルへの戦闘に備えるように命じられる。ダビデは窮地に立たされた。このダビデを解放する神のあわれみは、29章で学ぶ。
一方、長い間ダビデを敵としていたサウルもまた窮地にたたされていく。ペリシテ人がシュネムに陣を敷きイスラエルと戦おうとしていた。シェネムは、最北の町アフェクよりさらに30キロ北、つまり彼らはいつの間にかイスラエルの奥深くに侵攻し、ヨルダン川を制圧する勢いにあった。サウルの根城はギブアにあったから、彼がいかに北へ北へと退陣を迫られ、追い詰められ、潰滅寸前であったかがわかる。神に背を向け、ただ自らの力を信じて歩んできたサウルである、もはやサウルを守るものはなかった。サウルは、「ペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた」とされる。「サウルは、主に伺ったが、夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかった」(6節)という。サムエル亡き後、サウルに助言や励ましを与える者はなく、主の御旨もわからない。すでにサウルは、霊媒や口寄せに頼ることを忌み嫌い追放していたが、神も立ち去り、孤立無援の状況にあって、自ら追放した者たちに助言を頼る皮肉な結果に陥っている。サウルがいかにかつての信仰から堕ちてしまったかを物語っている。サウルは死の世界からサムエルを呼び出し、この危機にあって導きを得ようとした。
2.霊媒の宣告
だが実際のところ、サウルは答えを得られなかったわけではない。もうすでにすべきことはわかっていたはずなのだ。ただ、それが自分の思うとおりではなかったから、他の答えを探し続けていたのであろう。人の心にある頑迷さに、注意しなくてはならない。人は常に、自分の心に思う回答を求めて、人から人へと尋ね歩く者である。
サムエルが霊媒を通してサウルに語ったことはサウルを驚愕させることだった。「あすは、あなたもあなたの子らもわたしと一緒になるであろう。また主はイスラエルの軍勢をもペリシテびとの手に渡される」サウルは、ペリシテへの敗北のみならず、死を宣告されたのである。サウルは精神的な破たんを迎えることになる。
サウルの問題は、王位に伴う権威と権力を味わうことに執着し過ぎたことである。真の権威が、神にあることを忘れていく時に、人間は、権力がらみのことで失敗していく。サウルは、自らの地位も権力も与えられたものであり、いつでも潔くそれを返さなくてはならないことをわきまえていなくてはならなかったし、神に地位と権力を与えられた以上、神の預言者を通じて語られる神のことばには徹底して聞き従わなければならなかった。だが、サウルは預言者に全面的に聞くことができず、自分を主張しようとした。自分を神としたのである。そこにサウルの破滅の根本問題がある。
サウルに神の答えがなかったというのは、もはや神は十分語っており、これ以上語るべきことはなかった、ということである。ともあれ、このサウルの結末に教えられることは、私たちは、いつでも究極の権威者である神を覚え、神に従い、神に与えられたものはいつでも返す心備えをしておくべきことだろう。自分ではなく、神に聞き従う謙虚な心を持ち、神のしもべとしてあることを忘れてはならないことだ。そのような心が失われる時に、私たちは本来敵とすべきではないものを敵として、ある日、突如本当の敵に直面させられる結果となる。
敵とすべきではないものを敵としているサウル的な自分に気づいたら、いつでも悔い改めることが大切だ。そうでなければ私たちは、知らずに、自分の破滅を準備することになる。長く的外れな人生を歩み、突如の危機に何も準備を出来ていない自分に愕然とさせられることになる。真の敵を見誤らない歩みを今日も歩ませていただこう。