21章 成熟した王
<要約>
おはようございます。ダビデは、王として復帰し、またその職務も人間性も回復させられていきます。その上で、神がダビデの行為を喜び、また祝福されていく状況があります。人生は償い以上にすべきことがあるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.破られた契約
イスラエルが三年間引き続いて飢饉に苦しんだ時、ダビデは、そこに主からのメッセージがあると受け取った。ダビデは間違っていなかった。神のみこころを問うダビデに、契約違反のあったことが示される。ヨシュアの時代、イスラエル人たちは、ギブオン人に欺かれて和平の契約を結んでいる。彼らはエルサレムから数キロしか離れていないのに、遙か遠くからやってきたようなふりをして、イスラエル人の聖絶を逃れる契約を結ぶのである。それは詐欺的であっても、永久に効力を持つものであった(ヨシュア9:15)。しかし、サウルは、この契約を破ってしまった。ギブオンは、サウルのギブアの近くにあり、サウルは、外国人であるエモリ人が主の宮で仕えていることを不愉快に思い、「熱心のあまり」にギブオン人を殺していたのである。破られた契約の償いはなされていなかったのである。
そこでダビデは、自分たちが何をすべきかを探った。彼は王として行動した。賠償には、お金ではなくいのちが要求され(民数記35:33)、ダビデはギブオンの人々の要求を受け入れ、死んだサウルに代わって、サウルの七人の息子を引き渡した。それは実に痛ましい行為ではあったが、主の前の永遠の契約を全うするのである。
2.エピソードの意義
このエピソードは何を伝えているのか。唐突であるようでありながら、これまでの流れからすれば、ダビデ王国の確立のために、ユダとイスラエルを分裂させる芽をことごとく摘んだものとも思われる。ビクリの子シェバに代わって、イスラエル側で蜂起が起こる可能性を徹底的に潰したという可能性である。だが聖書は、あくまでも、これが永遠の契約を破ったサウルの行為についての償いとして描いている。
ただここでいくつか、注目すべきことがある。王の執務が正常化していることである。王が国の利益損失を考えて、神にその解決を求めているところである。ようやくダビデは、荒んだ生活を抜け出て、王として通常業務に就いた、というべきか。さらに、荒布を脱いで、死んだ息子たちの死体を守り切った女リツパに心を動かされて、先王一族を丁重に葬り、敬意を表するダビデの行為が注目される。ダビデは、サウルの息子たちに責任を取らせて終わりではなかった。彼らは契約を破ったのかもしれないが、彼らの尊いいのちの犠牲により、イスラエルが旱魃より救われたのである。ダビデは、人の命の重さを感じている。だから、それまで放置されていたサウルとその子ヨナタンの骨を見つけ出し、サウルの父キシュの墓に葬ったのである。正義がなされ、礼が尽くされた。ダビデの良心も、情も、正常に戻った、ということではないか。
実際その後のダビデは、戦闘に当たって、エルサレムに残るのではなく、必ず大将として出陣した。そして、部下がもう出陣を制するまでそうしたところに、全て、王国として正常な機能が取り戻された、というべきだろう。
ダビデが、イスラエルの国に生じた全ての問題を、王として、適正にかつ人間愛をもって処理していった時に、神はこれを喜び、「この国の祈りに心を動かされた」とされている。
私たちの祈りが無力にならないために、なすべきことがあるのかもしれない。常識的な感覚や、情を持って事に当たることを大事にしながら、破られた契約がないか、確認したいところではないか。今日決断すべきことを思わされることがあったら、迷わずそのようにさせていただこう。