2列王記18章

18章 ヒゼキヤの信仰
<要約>
おはようございます。本日の箇所は、考古学的な発見が色々とあり関連づけられていて興味深いところです。アッシリヤの包囲時に使用されていた便器の排せつ物が分析され、当時のユダヤ人が生肉しか食べることができない状況にあったこともわかっています。聖書の世界がリアルに再現される時代のお話になってきました。聖書通読が楽しくなるためには、ある程度の知識の蓄積も必要です。一つ一つ積み重ねてまいりましょう。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.サマリヤの陥落、ヒゼキヤの治世
ついにサマリヤは陥落し、イスラエル北王国は滅び去った。聖書は、「これは、彼らが彼らの神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである」(12節)とその原因を明記する。実に悲しい結末である。神に聞き従わないことは、結局は、世俗化の道であり、地の塩、世の光としての証しも失われ、役に立たない者として自ら滅び去っていくのみである。
他方、ユダ南王国では、ヒゼキヤが王となった。ヒゼキヤは、これまでのどの王とも異なり、全く主に心をささげきった王であった。彼は「ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った」とされる。高き所を取り除き、偶像を壊し、モーセの作った青銅の蛇すら打ち砕いている。聖書は彼が主に祝福され「どこへ出陣しても勝利を収めた」(7節)と評価する。彼は、アッシリヤの脅威に備えて、水道確保のトンネルを作っている。それは城外にあった「ギボンの泉」から涌き出る水を、アッシリヤに利用されないように隠し、トンネルで繋いで城内まで引き入れるものであった。その工事が、この時代のものであったことは、1880年に発見された「シロアムの碑文」に明らかである。こうしてヒゼキヤは防護体制を固めていくのであるが、アッシリヤの勢いは止まらなかった。
2.ユダ南王国の危機
サマリヤを攻め取ったアッシリヤの王は、続いてエルサレムへと侵攻した。その記録は、聖書外資料で大英博物館に所蔵された、センナケリブの記録「ティ-ラー・プリズム」に詳しい。センナケリブ王は、フェニキヤを経由し、ティムナ、エクロンなど26の城壁のある町々とそれを囲む無数の小さな村々を攻め取り、エルサレムの南西約50キロのラキシュに本陣を置き、そこから折り返して北上し、ベツレヘム、エルサレムへと侵攻した。当時イスラエル第二の都市であったラキッシュを攻撃した時の様子は、センナケリブの王宮の壁に彫られたレリーフに再現されている。ヘブライ大学のラキシュ第七次発掘調査に参加した時に、ガンフィンケル教授が、「このラキシュ攻落のために、小高い丘の上にある町に攻め込むランプ(坂道)を作った石材をどこから持ってきたか、それが未だになぞなのだよ。この問題を解いてくれないか」と、笑いながら話してくれたことがあった。発見された無数の矢じり、黒く焦げた壁跡、当時の戦いの激しさがあった。
ともあれアッシリヤとユダ南王国の力の差は歴然とし、ヒゼキヤは即刻自らセナケリブに逆らったことを詫び、停戦を申し出ている(14節)。だがヒゼキヤは、銀300タラント(11トン)と金30タラント(1トン)を戦争賠償金として支払うことになった。アッシリヤ側の記録であるティーラー・プリズムとその記載は多少違うものの、ユダ南王国は、その必要のために主の本堂の扉と柱から金がはぎ取られた。なんとも惨めな状況である。実際ユダ南王国には、光物の宝物はもはや残っていなかった。だからティーラ―・プリズムによれば、ヒゼキヤは、この戦争賠償金に加えて最良のアンチモニー、象牙装飾の寝台や肘掛椅子、象の皮革や牙、黒檀、つげ材、そして彼の娘や婦人たち、男女の歌い手などを献上したとされている。既にアハズの時代、神殿の祭壇は石造りのものと改修され、青銅ははぎ取られ、ついに本堂の扉と柱からも金がはぎ取られてしまい、装飾と思われるものは皆奪われてしまった。ソロモン時代の豪華絢爛な面影など全く失われた、色あせ丸裸にされたエルサレムの姿がそこにあった。
3.アッシリヤの包囲

だが、アッシリヤは帰らなかった。アッシリヤはエルサレムを包囲し、ヒゼキヤに完全降服を求めてきたのである。センナケリブに遣わされたラブ・シャケが語る。「主が私に『この国に攻め上って、これを滅ぼせ』と言われたのだ。」(25節)神を信じない者が、神の御心を語ろうとする。そして言う。「国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでも言うのか」(35節)。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。」(19節)。ラブ・シャケは、高慢にも神の玉座に上がり込んで、自らの言葉を語った。まさに現実を見よ、目に見えない神をあてに生きる愚かさかをやめよ、ということだろう。実際、ユダの人々は、アッシリヤに逆らって滅んだイスラエルを目の当たりにしたばかりではなかったか。
しかし信仰の王ヒゼキヤは、あくまでも神の介入を期待し、沈黙を命じた。そしてエルサレムは沈黙した。確かに、自分たちの国を滅ぼそうとしている者たちの前で哀願するのは空しい。むしろ、神の介入を待ち望むのであれば、沈黙こそ正しい対応である。たとえそれが人の目に万策尽きた人、終わった人のように見えることがあっても、最も弱いところに主の御業が強く現されることを知る者の姿なのである。

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