21章 反逆の王ヨラム
<要約>
おはようございます。捕囚帰還後のイスラエルの民が、これを読んだとしたら、ヨラムの生涯を見つつ、そこに、神に心を定めて従うか、そうでないかを選ぶ、そのような決断を迫られたことでしょう。神の憐みは深く、契約に忠実であられる、その神の、のろいではなく祝福を進んで受ける者でありたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.永遠の契約
ヨラムが、ヨシャファテの後継者になると、ユダ王国は一挙に危機的な状況となっていく。というのもヨラムは、父から他の兄弟と同じように、多くの神の恵みを受け継ぐのだが(3節)、その恵みによって勢力を増し加えると、兄弟たちやつかさたちを剣にかけて殺してしまうのである。彼は自分の王位を危うくする者を皆粛清した。
ヨラムが王となった期間は、8年間。おおよそBC848-841年であったと言われるが、それは暗澹とした時代となった。なぜこんなことになったのか。結局は、父ヨシャファテのアハブ家との破滅的な同盟に原因を遡ることができる(18:1、19:1、20:35-37)。歴代誌の著者は、妻であるアハブの娘アタルヤの影響があったことを指摘している(6節)。彼は主の目の前に悪を行ったが、注目すべきは、そのようなヨラムに対する神の態度とその態度の根拠となったダビデ契約である(7節)。神は契約に忠実であられた。つまり、ヨラムの守りは、「ダビデと結ばれた契約のゆえ」であり、ヨラム自身の有り様によるものではない(2歴代21:7⇔2列王8:19比較参照)。神は「ダビデとその子孫に常にともしびを与えると約束された」約束を守られたのである。
同じように、私たちに神の祝福と守りがあるとしたら、それは、主なる神がイエス・キリストと結ばれた契約のゆえであり、私たちの在り様によるものではない。またその約束は決して取り消されることのない永遠の契約である(ローマ8:39、ヘブル12:24、13:20)。神は、私たちのともしびを消されることはなく、私たちを最後まで守り抜こうとされる。その愛のゆえにである。
2.永遠の契約の裏面
ところで神がダビデと結ばれた契約には、「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる」という内容も含まれていた(2サムエル7:14)。神はヨラムを滅ぼすことを望まれなかったが、ヨラムに「人の杖、人の子のむち」いわゆるエドムのそむき(8-10節)や国内におけるリブナの謀反(10節)を起こされた。さらに主は、ペリシテ人とアラビヤ人を奮い立たせて、敵対させられたとある(16節)。彼が、ユダにある防備の町々を守っていた弟たちを警戒し、虐殺したことは、意図せずして王国の弱体化を招くことになったが、それは、神の裁きとして語られている。
また、神は不意に罰せられるようなお方ではない。預言者エリヤの書状を送らせ、悔い改めの機会を与えられた。大切なのは、神は忍耐をもって悔い改めの機会を与え、誓いを守られようとしておられることだ。しかしヨラムは、むしろ積極的に神から離れ、高きところを築くなど(11節)神に反逆を重ねた。そのようなヨラムに対して残された道は、自ら滅びを刈り取る以外になかったのである(1歴代28:9、2歴代7:19-22)。
今日、神は聖書によって、私たちに警告を発せられる。その警告を拒み続けるなら、私たちはその裁きを覚悟しなくてはならない。ヨラムが悔い改めず、ついに神の杖、神のむちに打たれて内蔵の不治の病をわずらったように。破壊的な同盟が及ぼした影響は計り知れない。どのような人間関係を保っていくかは、極めて重要であり、互いに神を第一とする人間関係をこそ、守っていくように努めたいものである。