【シーズン6】人生100倍の祝福【聖書】ヨハネの福音書7章 安息であり命であるキリスト

1.イエスを信じない者たち(7:1-36)
2節「仮庵の祭りが近付いていた」とあります。仮庵の祭りは、過ぎ越し、七週の祭りに並ぶユダヤの三大祭りの一つで、太陽暦では10月の初めに行われる収穫感謝祭です。ただ、ユダヤ人にとっては、特別な歴史を思い起こさせる、もう一つの意義を持つ祭りです。つまり、エジプトの奴隷から解放された後、荒野をさまよい歩いた時代、神が特別な配慮を示されたことを記念する祭りでした(レビ23:43)。すべてエルサレムから30キロメートル範囲内に住むユダヤ人たちの成人男子は、この祭りに参加する義務がありました。イエスの生涯も残るところ後6カ月、ヨハネはこの時期に起こった出来事を回想しています。話題は、イエスに対する様々な人々の反応です。
まずイエスの家族の反応。彼らもイエスを信じていませんでした。自分たちの身内から偉大なメシヤが出るとは到底思えなかったのでしょう。続いてエルサレムの群衆の反応。その思いは様々に分かれていました。ただ、誰も、ユダヤ人の指導者たちの目を恐れて、公にそれを語るものはいませんでした。後半には、先に出てきたイスラエルの教師、ニコデモが再び登場しますが、親しく教えを受けた彼ですら慎重です。ユダヤ人の指導者たちの間には、イエスがユダヤ社会の秩序を乱す危険人物と映っていたようであり、彼らはイエスを殺そうとしていましたし、彼と関わるものには、厳しい眼を光らせていたのです。
2.公然と語るイエス(7:37-53)
そのような人々を尻目に、イエスは公然と、16節、28節と、自分が神に遣わされた者であることを宣言しています。そして、仮庵の祭りが最も盛り上がる最終日、イエスは、群衆の中に立ち上がって大声を発せられるのです。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」かつてイエスは、サマリヤの女に、のどの渇きを訴えました。そしてそのサマリヤの女は、心に渇いていた女でした。人は心に渇く、満たされない思いでいることがあるものでしょう。そのような時、人は、お金や、地位、名誉といったもので満たそうとするのです。しかし、人の心の渇きを本当に満たすのは、神以外にはないという気づきを与えられたのがサマリヤの女でした。イエスは、その恵みに全ての人が気づくことを期待されたのです。
既に述べたように、仮庵の祭りは一種の雨ごい的な農耕祭でありましたから、イエスが実にタイミングのよい機会を掴んでこのように叫ばれたと言えます。ただ、そのパフォーマンスは、実に大胆、旧約聖書に描かれた奇妙な行動によって預言するエゼキエルに匹敵するほど、インパクトのあるものでした。そしてこれを普通じゃないなと受け止めた人、普通じゃないけれども言っていることはよくわかるなという人、反応は様々であったわけです。
確かに今の私たちも、このイエスをどのように受け止めていくか、考えさせられるところですね。ニコデモは、イエスを否定しかかるユダヤの指導者に、よく情報を把握するべきことを主張しました。大切なことでしょう。まずは、聖書を熟読していく。イエスの言動が本当に「心の奥底からいのちの水の川が流れ出る」ようにするものであるかを続けてみてまいりましょう。
最後に、今日の聖書クイズを一つ、過ぎ越しの祭りは、季節的に春に行われるものですが、仮庵の祭りの時期はいつになるでしょうか?①夏、②秋、③冬、昨日のクイズの答えは、①タブハでした。今日の答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。