ハガイ書1章 神殿再建への招き
おはようございます。稼いでは、消費でお金が消え、もっとお金が欲しいというだけの人生、それは空回りの人生ではないでしょうか。人生に意味を見出す生き方があります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ゼパニヤ書の背景
ダリヨス王の第二年(BC520年)の第六の月(現在の8月、9月)の一日、捕囚後初めて、神の民は預言者の声を聞きました。ゼルバベルがユダヤ人5万人を率いてエルサレムに帰還したのがBC536年なので、この預言は、帰還から16年後に語られました。ゼルバベルは、当時のユダの総督で、BC597年バビロンへ捕囚となって連れていかれたエホヤキン王の孫にあたる、ダビデ王家の継承者です。ヨシュアは大祭司です。彼らは帰還後、直ぐ神殿の再建に着手しましたが(エズラ1:1)、近隣の激しい迫害と妨害により、工事は神殿の土台を据えただけでまもなく中断してしまうのです(エズラ4:4-5)。そのまま月日が経ち、いつしか神殿再建の熱意は冷め、人々は自分たちのことに熱中するようになりました。旧約時代、主の宮は、今日のような礼拝儀式に必須のものではなく、ただ主の臨在を象徴するものでした。ですから、「時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は」というのは、彼らが妨害の中で、主の臨在にあまり期待もしない状態が生じたというべきなのでしょう。そして神不在でもなんとかやっていける、日常性にどっぷりと浸かり始めたのでしょう。
2.よく考えよ
そんな神の民にハガイが繰り返し語り掛けます「あなたがたの歩みをよく考えよ」(5、7節)思ったほどの収穫も得られず、気持ちよく酔いたいと思いながら、ただ安酒を飲み飲まれているだけ、稼いだと思ったら何かと出費がかさむ、自分の家のために走り回る達成感も満足感もない日常、それはなぜか。9節、それも神のさばきなのです。神のさばきと言えば、旧約聖書では疫病、震災、侵略戦争を思い浮かべますが、ここでは、非生産的な虚しい日常生活に陥ることです(10,11節)。イエスは、「神の国と神の義を求めよ」そうすれば天の父が、私たちに必要なものは備えてくださると語られました(マタイ6:33)。第一にすべきものを第一にしないと、結果、人は稼いでは、ただ消費するだけ、そして消費が上回って、もっとお金が欲しいというだけの人生になってしまうのです。
優先すべきは、主の臨在の象徴である主の宮を建てることです(9節)。「あなたの神、主は、あなたのただ中にある(ゼパニヤ3:17)」ことを、世に証しする主の宮を建て上げ、完成させる、そこにキリスト者の使命があるのでしょう。ある信徒が言いました。自分は献金に無関心であったが、教会に深く関わるようになり、自分が救われ恩恵を受けた教会の傾きかけた台所事情を知った時に、この働きを支えようと思い切った額の献金をするようになった。そのような生活を始めてみて、生活がきつくなるかと思いきや不思議にも生活の必要は備えられ、お金の活かし方もわかり、第一にすべきものを第一にすることの大切さがわかるようになった、と。人を守り、人を繁栄に導くのは主です(詩篇127:1)。その主を公に証しする有形無形の教会を完成させるところに、空回り無しの人生もあるのです。