レビ記5章

5章 罪、罪過のためのささげ物
1.罪過のためのささげ物(5:1-13)
 最初の1-13節は、4章の続きで、「罪のきよめのささげ物」について語っています。先の4章では、人によってささげ物の種類が異なってくることが語られていましたが、ここでは、このささげ物がもたらす効果、つまり償いの対象となる罪の具体例が語られています(1-6節)。一つは、証人として立つ立場にありながら証言しない場合(1節)、つまり人間的な弱さの故に、証言すべき時にそれができなかった問題です。二つ目に、汚れたものに触れたことに気づいた場合(2、3節)そして、軽々しく物事を誓っているなと知りながら、後でその重大さに心責められる思いになった場合です。
いずれにしても大切なのことは、罪に気づかされ、心責められるようなことがあれば、即告白しなさい、そして罪の贖いをしなさい、と教えられていることです。人はその心の弱さのために、罪深いなあと思いながら、罪を犯してしまうところがあるものでしょう。問題は、後でじわじわとそのことで責められる思いになることです。罪を犯している時は、あまり深刻に考えずとも、後でやはりこれは恐るべき罪だったと気づかされて、呵責に苛まれることはあるものでしょう。しかも人生何十年も経ってから気づかされる、今頃気づいても、償いようがないではないか、ということがあるものです。
神が正しいことを正しいとする裁き主でありながら、愛のお方であるというのは、このような定めによるものでしょう。神は、いつでも人は、気づいた時に罪を告白し、罪の悔い改めをしなさい、そうすれば神は赦してくださる、というのです。今日の私たちの状況に当てはめるのなら、これは罪だったとじくじく心責められることがあったら、迷わず祈りをもってそのことを告白し、十字架のキリストを掲げて、神に罪の赦しを請うということです(1ヨハネ1:9)。いつまでも罪の生活を続けてはならないことはもちろんのこと、むしろ、取り戻せない過去のために、罪意識に苛まれて弱り果ててはいけない、ということです。なぜならあなたの罪のきよめのささげ物は献げられてしまっている、つまりキリストがあなたのその罪の赦しのために死んでくださっているからだ、もうあれこれ考えるのは止めて、新しい人生を生きなさいと神が大いなる赦しを語っていてくださることに気づくことは重要です。
2.ささげ物の例外(5:7-13)
7-13節は、ささげ物の例外について語るものです。つまり、このささげ物は、どんな貧しい者でも献げられるように考えられています。鳩を買う余裕がないなら、小麦粉でもよいと。油と乳香が添えられないのは、穀物のささげ物と区別されるためですが、大事なことは、罪の赦しは、すべての人の特権である、ということです。
3.代償のささげ物(5:14-)
続く14節から、6:7までが一つの段落となっており、「代償のささげ物」について語っています。罪のきよめのささげ物(ハッタ―ス)と代償のささげ物(アーシャーム)の違いが問題です。前半と後半を読み比べてみると、一種の繰り返しのあることにきづきます。罪のきよめのささげ物(ハッタ―ス)では、1節「知っていたりする証人であるのに」3節「そのことを知ってはいたものの彼には隠れていて、後になって責めを覚える場合」そして4節「そのことを知ってはいたものの」とあります。また代償のささげ物では15節「気づかずに罪に陥ってしまった場合」、17節「自覚がなく後になって責めを覚えるならば」とあります。よく考えてみると、違うような違わないような、微妙なところです。罪のきよめのささげ物は、知っていながら犯されてしまう罪、代償のささげ物では、気づかずに、自覚せずに犯してしまった罪、と綺麗に分けられるのかというと、そうでもないようなところがあります。というのも、罪のきよめのささげ物は、知っていたけど、後でその知っていることが本当に問題だったのだと気づかされた時には、悔い改めなさいということですし、代償のささげ物も、自覚がなかったけれども、後でそれが罪だと気づかされたということであれば、どのような形であれ、罪が自覚された時には、悔い改めをする、それなりのささげ物をすることを教えているように思われます。そしてもし、決定的に違うところがあるとすれば、代償のささげ物にあって罪のきよめのささげ物にはないもの、それは、犯された罪に相当する弁済をする点です。代償のささげ物では、犯された罪の価値を量り、それ相当の犠牲動物を用意する。それにさらに1/5の金銭的弁済も加えるという点があるのです。しかも、その相当額の値は、奉納者自身ではなく、神が定める基準に従うという点に注意しなくてはなりません。代償のささげ物では、その罪を犯した人の事情は考慮されず、犯した侵害に十分な賠償を行うことが求められたのです。
神は、先の罪のきよめのささげ物では、いつまでも罪意識の呵責に苦悶しておらず、即告白し、悔い改め、キリストの十字架の赦しを信じるように招いてくださっているのですが、この代償のささげ物では、犯された罪についての責任感を放棄してはならない、償うべきものは償いなさいと教えているのではないでしょうか。神様が赦してくださったOK、ではない。現状復帰すべきものは復帰する、償うべきものは償う、人間としてなすべき正しいことをなす、聖書の教えが人類の拠り所となるというのは、このような常識感覚を失わないところなのでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。祭司のためにささげられる罪のきよめのささげ物の場合、犠牲動物の血は、どこに塗られましたか?①祭壇の角、②香の壇の四隅の角、③契約の箱の角、答えは、②香の壇の四隅の角でした。では、今日の聖書クイズを一つ。エパは、個体容量を量るときの基本単位ですが、十分の一エパは、約何リットルに相当するでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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