アモス書6章

6章 イスラエルの貴族への裁き

おはようございます。イスラエルの貴族への裁きが語られます。神はただ人を富ますお方ではありません。神のよき賜物の管理者として、神の御心に生きる者でありたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.神の報復

「ああ。シオンで安逸を貪る者、サマリヤの山に信頼している者」(1節)、アモスは、ユダとイスラエル両王国の首都に住む者たちに呼びかけています。いずれの国の指導者たちも、貴族たちも、これほど安全な時代はない、自分たちの町は最高である、と思い込んでいました。2節は、そんな人々の言葉を皮肉っています。「カルネ」はアッシリヤ、「大ハマテ」はヒッタイト、「ガテ」はペリシテの大きな町でした。「カルネ」も、「大ハマテ」も、「ガテ」もサマリヤにはかなわない、と己惚れている者たちに、そんなことはない、とアモスは語るのです。自分たちの国が一番であると高ぶっている者たちに、神の報復が刻々と近づいている、と言うのです(3節)。4節以降は、その報復が描かれています。神は貴族に(1-8)、徹底した裁き(9-10)、つまり侵略による敗北(11-14)をもたらすことを告げるのです。

2.最初の捕囚の民

4節、「象牙の寝台に横たわり、長椅子でからだを伸ばし」ている者は、まさにサマリヤの富める者の贅を尽くした生活を語っています。彼らは王と同じような生活をしていました(6節)。ぶどう酒を飲む容器は、「杯」ではなく一気飲みをするための「鉢」です。おそらくそれは、高価な、儀式用のものだったのでしょう。また、イスラエルでは乾燥した肌を守るために、オリーブ油を体に塗る習慣がありましたが、金持ちは香辛料を混ぜ合わせた高級品を使いました。そのように彼らはただ自分を楽しませる人生に熱中し、社会が荒廃しようと全くおかまいなしでした(エレミヤ6:14)。神は、既に申命記で語られたように(申命28:39-40)そのような事態を裁かざるを得ません。彼らがぶどう酒を飲むことも、油を体に塗ることもできないようにされるのです。こうして1節「最高の首長(ヘブル語でレオシット・ゴイム)」は、7節「最初の捕囚の民(ヘブル語でべ・ローシュ・ゴイム)」とされます。つまり、ヘブル語の聖書では明らかに、ここに語呂合わせの皮肉があります。

9節、神の裁きは徹底しています。大きな氏族からたとえ十人生き残ったとしても、喜ぶことはできない、と。それは最後の十人も同じように死ぬ運命にあるからです。人が、死体を運び出すために家を捜索すると、もうそこには「だれもいない」事態が生じます。あるのは、神の裁きが行われたという厳粛な事実です。だから、「口をつぐめ。主の名を口にするな」災いを近づけないために、と言うわけです(10節)。「公議」も「正義」もないがしろにされたことへの神の報復でした。アモスは、国から公議や正義が失われることは、あたかもひずめで滑ってしまうような岩地を馬が走るようなもの、打ち寄せる波で崩されてしまうような砂地に、牛を連れて行って耕すようなもの、だと言います。

神は正しいことを行われるお方です。富であれ、多く任された者は、多くの配慮を期待されているのです。神を恐れ、神の信頼に応える歩みを心掛けてまいりたいものです。