エゼキエル書4章

4章 四つの行動預言(4:1-17)

おはようございます。パフォーマンスによる預言は、エレミヤよりもエゼキエルの特許というべきでしょうか。不器用に神に従うエゼキエルの姿に教えられます。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.四つのパフォーマンス預言

エゼキエルの預言は、象徴行動による預言、いわゆることばではなくパフォーマンスによって、神の意思を伝える特殊な形を取ります。4章はその4つの預言からなります。

一つは、エルサレムの包囲に関するものです(1-3節)。エゼキエルは、粘土板にエルサレムの町を描き、それが敵軍に包囲されて攻撃される状況を再現するように命じられました。そしてこの粘土板に描かれたエルサレムとエゼキエルとの間に鉄の平なべを、鉄の壁として立て、顔をしっかり町に向けるようにさせられています。それは、この裁きを仕組まれた主の御顔がエルサレムから隠されていることを示しています。主が御顔を向けられる行為は、祝福を意味しましたから(民数6:25-26)、それが隠されることは、主の祝福が妨げられ、エルサレムに災いが及ぶことを意味したのです(申命31:17-18、32:20)

第二の行動預言は捕囚に関するものです(4-8節)。エゼキエルは、一年を一日として、まず左脇を下に390日間、そして次に右脇を下に40日間横たわるように命じられます。左脇を下にすれば、北イスラエルの方向を向き、右脇を下にすれば、南ユダの方向を向くことになります。つまり、北イスラエルの捕囚と、南ユダの捕囚の苦しみとその期間を預言しています。ただ数字については、正確な日数(年数)ではなく、ある一定期間と象徴的に理解した方がよいのでしょう。北イスラエルも南ユダも、神の刑罰を受けるのですが、北イスラエルの方がより長い期間その苦しみを味わうと言うわけです。

第三に、飢饉に関するもの(9-17節)。ここでは二つの飢饉が語られています。一つは、包囲期間中の食糧不足(9,11,16,17節)。もう一つは、外国の地で不浄な食物を強いられる苦渋です(12-15節)。普通は、小麦と大麦でパンを作りますが、それだけでは足りないので、そら豆、レンズ豆、あわ、裸麦も混ぜてパンを作らなければならないとされます。またパンを作る燃料も不足します。古代中近東では、乾燥させた動物の糞を燃料としましたが、人の糞は用いられませんでした。それは忌まわしいことでした。これが命じられたのは、捕囚期間中に、ダニエルたちが経験したような汚れた食事との闘いがあることを教えるためです(ダニエル1:8)。現代のイスラエルのレストランでは、コーシャ認証マークが表示されています。イスラム教徒のハラール認証のようなもので、一定の調理方法、調理内容を満たす、清浄な食品を提供するお店の認証です。ハンバーガーショップのマクドナルドですら、日本とは違って、肉製品は店の奥で、ミルク製品は店頭で買い分ける形になっています。糞で調理する行動預言は、日本人にはいささかピンとこない試練を語るものかもしれませんが、食料不足のために「量りながら」「おびえながら」という感覚は、最近の震災経験でよく伝わってくるものではないでしょうか。

2.また冗談を

ともあれここにも、3章のようにクスッと笑ってしまうような神とエゼキエルのやり取りがあります。エゼキエルは、祭司の家系で育った人、汚れた食事については厳格に躾けられた人でした。その彼が、人の糞で料理するのは、さすがに「御免仕る」と答えたところ、「では普通に牛の糞でよい」と神がエゼキエルに譲っています(15節)。天地万物を創造し、これを支配する偉大な神が、不器用なエゼキエルのことばを受け止め、無理強いをしないわけです。神は私たちにも同じように寄り添ってくださっています。私たちの生活経験を大事にしながら、神を信じ、共に歩み、またささげる人生に招かれるのです。そうであればこそ、エゼキエルのように神に献げきった人生を歩むこともできるのです。