6章 正しい歩み
おはようございます。神は悔い改めを求められますが、いたずらに神を恐れてはなりません。神とその業を正しく知ることが、健康な信仰生活を進める秘訣です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.神とその業を正しく認識する
ミカの預言書を始め、旧約聖書の預言書は、読者に辛口の裁きを通告し、悔い改めを迫るものがあります。そこで、一体どうすればよいのか、間違えてはならないのだと思います。ミカは、難しいことを何一つ語っていません。率直に、悔い改めを求められている私たちがすべきことを語っています。
まず、神とその業を正しく認識することです。2節、神は、変わることのない不動の山々を陪審員として法廷に立ち、語ります。いったい神は、人に何をしたというのか、どんな損害を与えたのか、と。災いが起こったとしても、それは、神がもたらしたなのか、よくよく考えてみれば、こんな時に都合よく神を持ちだしたりせず、自業自得の非、自身の非を考えるべきものではないでしょうか。ミカは言います。神がイスラエルの歴史に何をしてきたかを、思い起こせ、と。神はイスラエルをエジプトの奴隷生活の苦しみから救い出したお方(4節)です。そして約束の地へ向かうイスラエルを、モアブの王バラクが預言者バラムを通して呪おうとした時に、神はそのバラムの口に祝福を語らせたのです(民数22-24章)。また約束の地に入る前の最初の宿営地ギルガルでは、ヨルダン川を渡る奇跡を起こし(ヨシュア4:19、20)、最後の宿営地シティムでは、神に不信の罪を犯したときに、神が刑罰を途中で思い直されたので、イスラエルは全滅を免れました(民数25:1-5)。いつも神はイスラエルに善であったのです。悔い改めを迫る神は、慈愛の心をもっておられることを忘れてはなりません。主の正しいわざを知るのでなければ、悔い改めを迫る神の前に、私たちは恐れ萎縮する他ないのです。
2.神と共に歩む
次に、神が求めておられるのは、「ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、神と共に歩む」ことです(8節)。神は悔い改めのしるしとして、「一歳の子牛(6節)」つまり最良のささげ物を持ってこいとは言いません。「幾千の雄羊、幾万の油(7節)」「私の長子(7節)」つまりそれ相応の犠牲、たとえば多額の献金をささげなければだめだということは言わないのです。それは人間の考えることでしょう。神は違うのです。真実さと謙遜さをもって、神と共に生きていくことを喜ぶ、これに尽きる。そこで私は思うのです。信徒さん一人一が、日々聖書を開き、神のことばを読んで、神を喜ぶ時を持つ、これに優る従順はない、と。ここが出来ていれば、悔い改めの行動も自然に生じる、と。しかし多くの人は順序が逆で、眉間にしわを寄せるような信仰生活、教会生活を送っているのではないでしょうか。
9節以降ミカは、不正なはかりと欺きの重り石を使う商人を告発しています(10節)。それは日常の中で行われていた詐欺行為でしょう。悔い改めはまさに、日常生活の中で起こるべきものです。ただ神をいたずらに恐れてはなりません。神は祝福に招いておられるのです。