【シーズン6】コリント人への手紙第一16章 最後の挨拶【聖書】人生100倍の祝福

1.ふりかえり

今日はコリント人への手紙第一の最後の章です。少し振り返りをしましょう。まずパウロは1-6章で、クロエの家の者に聞いた、コリント教会の分裂、淫らな行い、訴訟の問題等について語っています。続く、7-14章では、手紙で寄せられた質問に対する回答です。前半10章までは結婚や偶像にささげた肉についてどのような態度を取るべきか、そして後半は、礼拝や聖餐、そして教会形成の在り方はどのようなものかを語っていました。

2.問題のない教会はない

注意すべきは、コリントの教会で起こっていた問題は、決して過去のものではない、ということです。程度の差はあれ、問題のない教会などありません。それでも、教会は、神に愛されているのです。教会は救われた罪人の集まりです。救いを完成させようとしている者の集まりです。つまり、これでもクリスチャンなのかなと思うような人々が集まっているとしても、そこに、神のみことばによる指導があり、神のみことばによるお取り扱いのあることが教会のしるしなのです。

ですから最後の15章で、信仰の実践の源である復活の問題を取り上げたことの意義は大きいのです。真に教会にいのちを与え、新しくするものは、復活の神の力を置いて他にないからです。そのような意味で教会には、何よりも、復活のいのちの力が教会に働くことを求める祈りが必要です。あなたの信仰の祈りが必要なのです。

3.16章で取り上げられる問題

さて、16章において、パウロは、再び現実的な問題を取り上げています。お金と機会と人についての考え方です。

まず献金について(1-4節)。パウロはエルサレムの貧しい聖徒たちへ献金を届けようとしていました。それは、神の家族としての愛を表すものでした。ここでは、献金の集め方について語っています。つまり、各自が前もって準備したものを、日曜日の礼拝で献げなさい、と言うのです。礼拝のために前の日に準備するものは、聖書、讃美歌だけではありません。献金、そして、献金が用いられるようにという祈りです。

次に、機会について(5-9節)。パウロはコリント教会を訪問したいと願っていました。しかし、機会を与えるのは神とパウロは心得ていました(7節)。キリスト者の人生は神にお仕えするものです。神のみこころが第一で、私たちの思いは第二なのです。しかし神は、私たちの思いを知っていてくださいます。神は愛です。

最後に、人について(10-24節)。パウロは、手紙の締めくくりにほとんど必ず個人的な挨拶を加えます。聖書学者のバークレーは、「キリスト教の信仰を外側から脅かす人や物に対しては、兵士のようでなければならないが、教会の内側の人々に対しては、戦友でありまた恋人でなければならない。キリスト者の生涯には決して退くことのない勇気と、決して裏切ることのない愛がなければならない」と語っています。今与えられている教会を大事にすることです。そして、神の摂理によって離れることがあっても、お互いにつながり続けられるような関係を育てることです。私は、この点において多くの失敗をしたと思っています。しかし、敵とみなすのは、サタンや悪魔であって兄弟姉妹ではありません。互いに愛し合う、それが教会です。

では、神の祝福があるように、ぜひ、世田谷の二子玉川に起こしの際には、直接メッセージを聞きに来てください。また明日2このチャンネルでお会いしましょう。

1 Corinthians Chapter 16 – Closing Words

1. Reflections

Today is the final chapter of First Corinthians. Let’s take a moment to look back. First, in chapters 1-6, Paul talks about the divisions in the Corinthian church, the immorality, the lawsuits, etc., that he heard from the house of Chloe. Then chapters 7-14 are answers to the questions he received by letter. The first ten chapters dealt with what attitude one should have regarding marriage and meat offered to idols, and the second half dealt with what worship, sacraments, and church training should be like.

2 No Church is Without Problems

It is important to note that the problems that occurred in the church at Corinth are by no means a thing of the past. There is no church without problems of varying degrees. Nevertheless, the church is beloved of God. The church is an assembly of saved sinners. It is a gathering of those who seek to complete their salvation. In other words, even though there are people who may not even consider themselves Christians, there is guidance by God’s Word, and the sign of the church is that it has been dealt with by God’s Word.

That is why it is significant that the last chapter, chapter 15, deals with the issue of the resurrection, which is the source of the practice of faith. There is nothing that truly gives life and renews the Church except the power of the Resurrection. In this sense, the Church needs above all prayers for the power of resurrection life to work in the Church. Your prayer of faith is needed.

3. Topics of Chapter 16

Now, in chapter 16, Paul again deals with practical matters. These are ideas about money, opportunities, and people.

First, about giving (vv. 1-4). Paul was about to give an offering to the poor saints in Jerusalem. It was an expression of their love as God’s family. Here he talks about how to collect the offering. In other words, he is saying that each of us should bring to the Sunday service what we have prepared in advance. The Bible and the hymns are not the only things that should be prepared for worship the day before. There is also an offering and a prayer that the offering will be used.

Next is the opportunity (vv. 5-9). Paul wanted to visit the church in Corinth. But Paul knew in his heart that it was God who would provide the opportunity (v. 7). The life of a Christian is to serve God. God’s will comes first and our thoughts come second. But God knows our thoughts. God is love.

Finally, about people (vv. 10-24). Paul almost always ends his letters with a personal greeting. Biblical scholar Berkeley wrote: “We must be like soldiers to the people and things that threaten the Christian faith from without, but to those within the church we must be both warriors and lovers. In the life of a Christian there must be a courage that never retreats and a love that never betrays. We must cherish the church we have been given now. And to cultivate relationships that will keep us connected to each other, even when we may leave by God’s providence. I believe I have made many mistakes in this regard. But it is Satan and the devil that we see as our enemies, not our brothers and sisters. We love each other, that is the church.

So God bless you, and please come and listen to the message directly when you come to Futakotamagawa, Setagaya. See you tomorrow on this channel.

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“【シーズン6】コリント人への手紙第一16章 最後の挨拶【聖書】人生100倍の祝福” への2件の返信

  1. 福井先生。主日の今日もありがとうございました。末の娘が四月から新社会人となり半年弱経ち、やっとなんとか落ちついてきたかなと思われます。家族の中一人信者として奮闘する支えを戴けている事感謝しています。
    実母が亡くなってから、慌てて信仰を取り戻したくアクセスするようになった私ですが、
    コロナ禍も通り、SNS配信を通した聖書の学びは教会に足を運びにくい私には神様からの大きなプレゼントです。
    これからもどうぞ宜しくお願い致します。

  2. これでもクリスチャンなのかな?と思わされる自分ですが、御言葉による指導、御言葉によるお取り扱いがある。
    現在、母教会日曜学校教師だった先輩姉妹の転会先の教会の日曜礼拝動画と、同じく母教会出身で、同じ日曜学校教師先輩姉妹の教え子繋がりで、現在、私が住む住所近くの地域教会の先輩姉妹から、主日礼拝動画をLINEやメール送信して頂けるようになっています。
    以前、福井先生には、教会所属に関して、サタン悪魔の誘惑、試みに屈したように呟きのコメントを送ってしまい、ご心配をおかけし申し訳ありませんでした。
    神様の御前に悔い改めています。
    バークレーの言葉にも励まされ、参考になります。

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