ヘブル人への手紙9章 キリストのささげもの
1.大祭司キリストのささげもの(9:1-14)
ヘブルの著者は、幕屋の構造とそこで行われるささげ物の儀式について説明しています。それは、ユダヤ人が慣れ親しんだ宗教儀式ですが、後の時代、つまりキリストの業について比ゆ的に語るものであった、と言います。この箇所をよく理解するためには、レビ記に書かれた礼拝の儀式についてよく知っておく必要があることでしょう(レビ4:1-5:13、6:24-30)。特にヘブル書との関連で重要なのは、全焼のささげ物(1章)と罪のきよめのささげ物(4-5章)、そして代償のささげ物(6-7章)の知識です。それらの儀式には共通の手順があり、神との関係を回復させる宥めの意味が重要でした。また、それぞれに固有の部分もあり、三つのささげ物が区別される理由もありました。たとえば全焼のささげ物は焼き尽くすささげ物で、それは献身を象徴しました。また罪のきよめのささげ物では祭壇の角に血を塗る行為が加えられ、罪の贖いを強調する部分がありました。さらに代償のささげ物では、必ず犯された罪を償う行為、つまり損害賠償が加えられました。神殿ではこのように種々のささげ物がささげられましたが、それらは意味のよくわからない宗教儀式であったのではなく、後に来るキリストの御業を象徴するものとして行われたのです。そして実際大祭司キリストは、人間の手で造った目に見える聖所ではなく、目に見えない天にある完全な聖所に入られたのです。またやぎや雄牛などの動物をささげたのではなく、ご自分の聖いからだといのちをささげ物とされたのです。それは、ただ一度限りの、これから後にも先にもない、永遠のささげ物でした。ユダヤ人は、動物の犠牲が彼らを聖めると教えられてきたのですが、この聖いキリストのいのちがささげ物となった、というのなら、その聖めの効果はいかほどであろうか、というわけです。
2.仲介者キリスト(9:15-28)
さらにキリストは新しい契約の仲介者でした(16節)。ヘブルの著者は遺言をたとえにしてこれを説明します。遺言というものは、死んだとき初めて効力を発揮します。つまりイエスが死んで初めて、イエスが生前に約束した新しい契約も有効になるのです。新しい契約については昨日8章の所でもお話ししました。新しい契約は、神の律法が心の中に書き記されるというものでしたそれは、イエスの愛の戒めを、十字架という出来事によって、心に深く印象的に焼き付けられ、その愛に生きることを促すものです。それは、人を愛しなさいと石の板に書かれた戒めを形ばかりでも守ろうとするあり方とは根本的に違っています。神のまことの愛が私たちの心に焼き付けられ、私たちの心を揺さぶり、動かす、理屈を超えた戒めなのです。
それはもはや繰り返されることのない、ただ一度だけの、真剣勝負の贖いの行為でした。人はこのただ一度の行為で、永遠に赦される者となったのです。キリストを信じるというのは、まさにこの聖書が語る真理に徹底的に信頼して生きることです。そしてその人生の究極の終着点として、私たちは、再び私たちのために命を捨ててくださったキリストとお会いするのです。天の場所を備えて私たちを迎えられるキリストの前に立つのです(28節)。その時に、私たちは自分の人生の総括として、どのような報告をすることができるでしょうか。死んだ行いから離れて、確かに生ける神に仕える人生を歩み、その使命に全力を尽くしたと胸張って言えるものであるのか、それとも、漫然とクリスチャンらしく生きることができた、たいしたことはできていません、と答えるのでしょうか。キリストが、私たちに再び会ってくださるその日は、私たちの救いを完成させるためであると言います(28節)。キリストによって始まった救いの業を完成させるように生きる、これがキリスト者の歩みなのです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「私自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。それは、わざわいではなく平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ」これは聖書のどこに書かれているでしょうか。答えはエレミヤ書29:11でした。では、今日の聖書クイズを一つ。旧約時代、神殿では、全部で何種類のささげ物がささげられたでしょうか?答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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