出エジプト記15章

15章 イスラエルの賛歌
1.モーセとミリアムの歌(15:1-21)
1-18節は、一般にモーセとミリアムの歌と呼ばれます。エジプトを脱出したイスラエル人たちは、自分たちを追ってきたエジプトの軍勢が、海に飲み込まれてしまったことを目撃しました。自分たちは神の奇跡による海の中の道を歩き通したのに、エジプト人は海の深みの中に飲み込まれたのです。それは、神の業でした。そこで彼らは、自分たちをお救いになった神を仰ぎ見て、神に賛美を献げるのです。「主はファラオの戦車と軍勢を海の中に投げ込まれた。選り抜きの補佐官たちは葦の海に沈んだ」(4節)。ファラオは、イスラエルを連れ戻すために、最強の軍隊を自ら率いた、と言います。しかし、その試みは、神の偉大な御手によって泡と消えてしまったのです。1節「主に向かって私は歌おう」と、モーセは神の圧倒的な勝利を讃えます。確かに主は、私たちの救いであり、力であり、助けなのです。イスラエルの民は、自分たちのために主が戦われることを目の当たりにしました。主が自分たちに代わってエジプトと戦われたことを見ました。主の右の手の力強さ、主の大いなる威力、その素晴らしさを見ました。ですから主に向かって歌う、主を称える、となるのです(1-6節)。
9節、敵の反抗など、主にとって痛くもかゆくもありません。主は一撃でもって敵の軍勢を壊滅されるお方です。そこで、モーセは歌うのです「主よ。神々のうちに、だれかあなたのような方がいるでしょうか」(11節)と。イスラエルの神は、他の神々に比べ秀でているというのではありません。イスラエルの神は、この地の唯一の支配者であり、絶対者であり、全能者であるという信仰の告白です(11-12節)。そして主は、贖われた民、つまり、身代わりのいけにえをささげて、神のものとされた民を守られるお方だと告白されます(12-17節)。そして最後に、主の永遠性を称えています。
この賛美は、聖書においては極めて重要な位置づけにあるものです。というのも、後にヨハネは、この箇所を下敷きに黙示録の15章を書き上げたと思われるところがあるからです。黙示録15:2では、ローマ帝国の迫害下で苦しめられた殉教者たちが、この世から逃れて神の御前に立った状況が描かれていますが、彼らもまたモーセの歌と子羊の歌を歌っているのです。彼らもまた、主の救いを褒め称え(1-10節)、主の栄光を崇めているのです(14-17節)。主が与えてくださった勝利を讃える、これはいつの時代も変わることはありません。人は歌を歌う生き物です。それは何を歌うものであるのか、主が一人一人に賛歌を与えてくださるようにと願わされるところです。
2.新しい旅立ち(15:22-27)
 ともあれ主はエジプトの軍隊を打ち破られました。しかし、それですべてが終わったわけではありません。ここからいよいよ荒野の旅が始まるのです。そして新しい危機、現実問題として水と食料の問題が生じました。シュルの荒野は、シナイ半島の北西部と考えられています。彼らはその地をさまよい歩き、水を見つけることができないで、とうとうマラへやってきました。マラは、スエズ湾より数キロ内陸に入った、アイン・ハワーラの泉であるとも、またより北側のアイン・ムーサの水であるともされます。いずれにしても、彼らは泉を見つけはしたものの、その水質は悪く飲めるようなものではなかったのです。
そこで民がつぶやきました。「私たちは何を飲んだらよいのですか」(24節)。一つ一つの状況を見れば、民がつぶやき、モーセに怒りを発するのも理解できないことではありません。しかし、なぜ民はモーセと一つとなり、神の助けを求めようとしなかったのでしょうか。やはりそこに人間の霊的な暗さがあるのでしょう。ファラオの戦車も軍勢も海に投げ込まれた、素晴らしい、主よ、次は水を与えてください、という祈りにはならないのです。そして神ではなく、目の前の指導者に、何とかしろ、責任を取れ、と詰め寄っていくことが起こるのです。人々が一緒に神に求めましょうというのではなく、責任を問われる状況に、モーセはさぞうろたえる思いであったことでしょう。大切なのは、指導者にリーダーシップを求めることではなく、指導者が指し示す神を、指導者と共に呼び求めることでした。主は言います「わたしは主、あなたを癒す者」(26節)。である、と。目に見えない神を覚え、神の業を皆で呼び求める、それを教会としてまいりましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「新約時代には、「紅海」と呼ばれた海は、旧約時代は何と呼ばれたでしょうか。答えは葦の海でした。では、今日の聖書クイズを一つ。マラは、イスラエルの民がエジプト脱出後、最初に宿営したところですが、旧約聖書の女性で、自分をマラと呼んだのは、誰でしょうか?では、今日もよき一日となるように祈ります。

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