●4章 モーセの召命(しるしとアロンの援助)
1.モーセを召し出す神(4:1-23)
モーセは、イスラエルの解放者として召されました。しかし、神の前に彼はただ戸惑うばかりでした。というのも、モーセも、考え方は大人になっていて、もはや40年前のモーセではなかったのです。かつてだったら、喜んでその役を買って出たことでしょう。俺にはできると言わんばかりに。しかし、今の彼は、それがどれほどの重い責任であるかをよく理解し、またそれにふさわしい力もないことをよく心得ていました。モーセはあれこれ言い訳をして、この責任から逃れようとしています。
そのようなモーセに、神は、三つのしるしを与えられました。杖、ツァラアト、そして水のしるしです。古代近東で蛇は、知恵、豊穣、癒やしのシンボルで、礼拝される神でした。その蛇を操るのですから、そのしるしは、人々が礼拝する神よりもさらに偉大な神がモーセと共におられることを意味するものでした。次にツァラアト。ツァラアトの病に侵された者は、イスラエルの交わりから断ち切られました(レビ13:45,46 )。ですから第二のしるしは、イスラエルを支配する力が与えられたことを意味します。第三の水を血に変えるしるしは、十のしるしの最初のしるしとして行われました。エジプト人は、ナイルの水を神とし、これに頼って生きてきたのですから、このしるしは、ファラオとエジプトの神々に勝る力が与えられたことを意味しています。こうしてモーセがリーダーとして立っていくために必要な力は、神が与えると語られるのです。しかし、モーセの反応は実に鈍いものでした。モーセは、自分の現実を考えると、はい従いますと素直な思いになれないところもあったのでしょう。しかしそれは、神の力を軽んじることです。神はモーセに怒りを燃やされました。神がモーセに期待されたのは、モーセが偉大になることではなくて、モーセがありのままに、神の力を受ける器となって、神の働きをすることでした。「私ではありません、神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです」(創世記41:16)と語ったヨセフの信仰を継承することでした。神は、私たちの性質や能力、育ちや実績を超えて私たちをご自身の働き人として選ばれることがあります。その場合は、その働きに見合わない者であると思うことがあっても、一切の不足は神が補ってくださるという信仰が必要なのです。
実際神は、従順な者を神の不思議によって用いられました。神は、信仰によって石投げ器と石を手にしたダビデを、ペリシテの戦士ゴリヤテを倒すために用いられました。神は全能の力をもって、必要を満たし、目的を達成されるお方です。人はその働きに召されたら、自分の弱さや無力さをしっかりと自覚しなくてはならないでしょう。そして、神がご自身の働きに自分は召されているのだという謙虚さをもって、ただ神の力が表されるとおりに、お仕えすることが大切なのです。なおも決断できないモーセに、神は、アロンの助けがあることを示されます。モーセはアロンと一緒に出ていく決意を固めました。
2.血の花婿(4:14-31)
こうしてモーセはエジプトに向かいます。24節、その途上、神がモーセを殺そうとする不可思議な出来事が起こっています。具体的に何があったのかは想像するまでですが、その間、ツィポラが、息子に割礼を授け、切り取った包皮をモーセの両足につけ「血の花婿」と呼びました。様々な解釈があり、この行為はモーセに対する警告として理解するのが通説です。つまり割礼は、神に喜ばれないものをすべて取り除き、これからの働きのために神にまったき献身を表明する行為でした。ですからすべて神の御旨にかなった行為をするように、神と一つ心になるように、神が警告されたのだ、というわけです。
神の働きに携わるならば、すべては神がしてくださるでしょう。しかしそれは、神に全く献身した人によってこそ可能なのです。神は完全にささげきった人によってご自身の力を現されるのです。なまくらな心で、神にお仕えしようとしてはなりません。能力がないというのは、問題ではないとしても、この働きのために命をかける覚悟事態に問題があってはなりません。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「イエスがご自身を説明するために「わたしは~ある」という構文を用いて、話されていないことは何でしょうか?①門、②ぶどう、③山」答えは、③山でした。イエスは、「わたしは羊の門です(ヨハネ10:7、9)」「わたしはまことのぶどうの木です(15:5)」と語っておられます。では、今日の聖書クイズを一つ。割礼がイスラエル人の間で、宗教儀式として行われるようになったのは、誰が始まりであったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!