出エジプト記9章

9章 ファラオとの交渉(災い:⑤疫病、⑥腫物、⑦雹/家臣雹を警戒する)
1.エジプトを狙い撃ちする三つの災い(9:1-28)
非常に重い疫病、うみの出る腫れもの、激しい雹の、三つの災いが連続してくだされています。これまでの災いと異なるのは、これらがエジプト人とイスラエル人をはっきりと区別し、エジプト人を狙い撃ちするものであったことです。しかも「馬、ろば、らくだ、牛、羊」は、エジプト人にとって神聖な動物であるのみならず大切な財産でもありました。つまりそれは、次章に続くいなごの災いとともに、エジプトを荒れ廃らせ、エジプト人の財産を奪い取るものとなりました。それはまさに、強制労働によってエジプト人がイスラエル人から搾取したことへの報いであったわけです。
問題は、これらが指導者の強情さや愚かさの故にもたらされたことです。どんな組織でもそうかもしれませんが、会社でも、家族でも、その長がどのような度量を持つ人間か、それが組織の運命を左右するものでしょう。27節「今度は、私が間違っていた。主が正しく、私と私の民が悪かった」ファラオが自分の誤りを認めています。ただ、モーセはこの悔い改めが本物ではないことをよく理解していました(30節)。しかしそうであっても、いつまでも長の愚かさの故に、関係のない庶民まで苦しめられているのは、忍びない思いであったのでしょう。モーセは神に従って、神に命じられるまま災いをもたらしていましたが、もはやその必要なしとなれば、即座に人間の側に立って、これを終わらせています。神の人は、常に、神の命に従順ですが、それは、心通わぬ神の道具となることではありません。アブラハムが、ソドムとゴモラに災いを下されようとした神に交渉したように、人の弱さと愚かさを思いやり、人の守り手となろうとする人であればこそ、神もまたご自身の裁きの器として用いられるのです。神は愛の方です。愛の裁きであることが通じる器をこそ、ご自身の器として用いられるのです。
2. 神に助けられるモーセ(9:29-35)
また神は、モーセをご自身の器として用いられ始めています。初めはアロンがあなたとともにいる、とモーセの代弁者、アロンを用いておられましたが、ファラオの前に立ち、ファラオに答えるのはモーセ自身です。言葉の人ではなく、口下手であると語るモーセはいつの間にか、ファラオの前で、巧みに神の命を伝え、ファラオの問題を指摘する神の器となっているのです。モーセは夢にも思わなかった働きをこなしている自分を認めざるを得なかったことでしょう。
しかし本来、神に仕えるというのはそういうことです。神は、私たちの限界を超えた働きを与えられるお方です。私たちが、私たちの能力に見合った働きをするのに、何の神の助けがいることでしょう。やはり私たちに予期せぬ力を与えて、用いてくださるからこそ、神の存在も証しされるのです。実際、新約聖書には聖霊の賜物という考え方が出てきます。神が信じる者に、ご自身の働きに与らせるために親譲りの才能ではなく、それこそ神譲りの賜物を与えてくださる、というものです。しかし、信仰者はこれをどこまで意識しているでしょうか。神に特別に新たに加えられた賜物を意識することもなく、ただ、いつまでも無力・無能な自分を思って、卑下落胆していることはないでしょうか。自身の限界を強く意識するばかりで、物事に後ろ向きになってしまうことはないでしょうか。やはり、求められるのは、神の言葉への従順であり、信仰です。ペテロがそうであったように「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした、でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう」(ルカ5:5)と語る、神の言葉への従順さと信仰なのです。それが、モーセが用いられた理由なのでしょう。
聖書を読み、神がみこころとして示してくださることを受け止め従うならば、神が私たちを予期せぬ歩みへと導いてくださることは確かです。神に従うというのは大きく派手なことではありません。それは、毎朝、神の前に出て、神に聴き、人々のために祈る、それこそ隠れた地味なものであったりします。しかし、神がみこころとして示す一事を頑なに守っていく、ところに、神の祝福があると言えるでしょう。神の力に与り生きる者でありたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「ブヨは、新約聖書でも出てきますが、どんな場面で、取り上げられているでしょうか。」こたえはマタイ23:24、イエスのパリサイ人を批判する言葉の中に出てきます。「ブヨはこして除くのに、ラクダは飲み込んでいる」重大な神の御業を疎かにするパリサイ人への批判です。では、今日の聖書クイズを一つ。モーセによって呼び下された雷と雹は、太陽暦では通常何月頃に降り、それはエジプト人の生活にどのような影響を与えたと思われますか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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