30章 ラケルとレアの確執
1.ヤコブ家の争い(30:1-13)
ヤコブは、二人の妻を持ちました。そしてヤコブの家族には、うんざりするような争いごとが生じるのです。二人の妻は、自分たちの女奴隷をも巻き込んで、女の幸せをかけて争い始めました。ヤコブは、幾度となく、そもそもの問題は、ラバンにあった、と忌々しく思ったのではないでしょうか。最初から自分が望んだラケルだけを妻にしてもらえれば、こんなことにはならなかった、と。いや、人間こんな時には、もっと過去まで遡って、自分がもっと大人で、母親の口車に乗りさえしなければ、こんな風にはならなかった、と考えたかもしれません。いや、もっと根本的に、私の家族が「神の祝福のことば」などに拘らずにいたら、そもそも、祖父のアブラハムの信仰って何だったのか、世代に受け継がれてきた負の連鎖、そんなことまで考えたかもしれません。人間の不幸というのは、根の深い、変え難い文脈を持っているものなのです。
ともあれ、そのような不幸な人生の流れをどう変えていくのか、ヤコブの家族に起こっていることは、普通のことでありながら、どろどろした人間的な戦いを継続するものでした。そして、ラケルもレアも、「神が…、神が…」と神の名を口にはしても、やることなすこと、神などいなくてもできること、女奴隷に子どもを産ませて、子どもの数を競い合ったのです。彼らは、人間的な可能性の中で物事を考え行動しました。そしてその戦いは、レアに優勢と思われるものでした。けれども神は、ヤコブに嫌われていた可哀そうなレアに同情し(29:31)、ヤコブに愛されていたラケルには冷たかったというのではありません(22節)。神は正しいことをなさるお方、常に、私たちに良きお方です。大切なのは、そのよき神を信頼し、神に願うことなのでしょう。ヤコブの父イサクは、そのような意味では、よき信仰の継承者でした。イサクは、妻リベカが不妊の女であることを知った時に、まず妻のために主に祈ったからです(25:21)。彼はアブラハムが試行錯誤の故に学んだ、主の解決に、より頼む人でした。しかし、ヤコブの妻たちは、アブラハムが試行錯誤した時代に逆戻り(16:2)、人間的な争いに翻弄されてしまったのです。
「恋なすび」は妊娠促進の薬効があると信じられた薬用植物です。ラケルは、今で言えば精力剤にまで手を出したわけで、義父のイサクのように、不妊の解決のために神に祈るという姿勢は微塵もありません。結果、サプリメントの使用感は個人によって違います、と言わんばかりに、恋なすびを手放したレアが子どもを授かることになるのです。ラケルは、サムエルの母、ハンナのようにまず神に自分の問題を持ち出し祈るべきだったのでしょう(1サムエル記1:10)。
2.義父ラバンとの確執(30:14-43)
家族に争いごとが生じることほど辛い試練はありません。家族は逃れることができない、生涯付きまとう関係だからです。ヤコブは、妻たちとの関係に悩み、さらに義父ラバンとの関係に悩まされました。ヤコブを利用するだけ利用しようとする義父のラバン。そんな苦悩から逃れるためにヤコブが考え出した方法は、「自分自身のために自分だけの群れをつくること」でした。ただそんなヤコブの策略を見抜けないほど、ラバンは間抜けではありませんでした。彼は、ヤコブの提案に対して、誤魔化しが起こらないように、自分の息子たちにヤコブの群れの管理を任せています。ヤコブは賢く提案したものの、明らかに不利な立場に置かれてしまったのです。しかし神は正しいお方です。事態はヤコブに有利な方法で動いていったのです。この時ヤコブは、当時信じられていた方法、つまり選択受精という方法を用いて成功を収めたかのようでした。彼は戦略的に動き、策略を駆使したのです。けれどもヤコブは後で、この時のことを振り返って、神の助けがあったからこそ、その戦略も機能したと告白しています(31:9)。いかなる戦略も、神がこれに味方されるのでなければ、恋なすびを手にしたラケル同様、意図した結果を手にすることはないでしょう。全てよき結果は、上から来るのです。ですから八方塞がりの袋小路に迷い込んだと思うようなときは、まず神の解決を願い祈ることでしょう。そしてなせることは何でもすることです。へたり込んで、何もしないというのもまた違うのです。多くの場合、人は、苦労することは悪いことだし、不幸なことだと考えます。しかし苦労があることと幸せであることは別次元のことです。人に苦労は避けられません。そして苦労があっても本当は幸せだ、ということがあるものです。「悪いあの人」「かわいそうな私」という泥沼から脱出するには、「これからの私」を保証する神に信頼し、期待し、祈り、なせることはなんでもなす一歩を踏み出すことです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「先祖アブラハムたちと共に、マクペラの洞穴に葬られたのは、レア、ラケル、どちらでしょうか?」答えはレアでした(創世記49:30-31)。では、今日の聖書クイズを一つ。「30:14にある「麦の借り入れのころ」というのは、太陽暦では何月にあたるでしょうか?大麦、小麦、それぞれの時期について答えてください。答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!