民数記14章

14章 民の不信,神の怒り→荒野へ
1.頂点に達した反逆(14:1-10)
 約束された地は素晴らしいものでした。しかし、そこは攻め入って征服するには、あまりにもハードルが高いと思われる地でした。民は、落胆しました。エジプトを脱出したものの、もはやここまで、と。いやむしろ、エジプトを出なかった方がよかったのではないか、とすら、嘆き悲しんでいます。エジプトで経験した辛さなど忘れてしまったのでしょうか。彼らは、別の指導者を立てて「エジプトに帰ろう」とすら言い始めるのです。
 そこでモーセとアロンがイスラエル人の会衆の前でひれ伏した、と言います。モーセとアロンは、神に逆らうことを恐れたのでしょう。ミリアムの事件以来、彼らにとって神の命令は絶対であったのです。さらにヨシュアとカレブが、モーセとアロンの側に立って、イスラエルの民に訴えました(9節)。「自分たちの着物を引き裂いて」というのは、イスラエルの民の不信仰に対する深い悲しみを表した行為です。彼らは、神の約束はよいもので、神は約束を守られるお方であることを示し、神への信頼を強く促します。しかしイスラエルの民は、これに耳を貸すどころか、逆に、彼らの口を封じ込めようと石で撃ち殺そうとするのです。これ以上の拒否はないことでしょう。しかし実際に彼らが拒んだのは、モーセやヨシュアではなく、目に見えない神ご自身であったのです。
2.モーセのとりなし(14:11-38 )
もはやこれまで、と怒りを表す神にまたしてもモーセがとりなしをします。神は、イスラエルに信仰と神への従順を促すために、既に、十分なしるしを与えてきました。エジプトを脱出する前、脱出する時、そしてその後も。にもかかわらず、民は神を認めることができませんでした。神は、イスラエルの民を疫病で滅ぼす決意をします。しかし神の約束は確かなのですから、誰かが約束の地を手に入れるのです。神は、イスラエルの民を疫病で打ち、モーセとその同族の者を祝福すると言います。けれども、モーセは、その神の申し出に耳を貸さず、この反抗的な民の側に立ちとりなしを続けるのです。ある意味でこのようなモーセであるからこそ、神もモーセだけでもと思われたのかもしれません。ともあれ、モーセは訴えました。神はエジプトからご自分の民を解放された、荒野の旅も何とか助けられた、しかし、約束の地の戦いでは躓いた、やはりイスラエルの神も負ける時は負けるのだ、神とはそのようなものだと偶像崇拝者たちに思われることになるのではないか、と。そしてさらにモーセは神の恵みに訴えました。イスラエルの神は裁き主とは言え、哀れみ深い裁き主なのではないか、と。確かにモーセが言う通りでした。神は、モーセの訴えを取り上げ、赦しを宣言されます(20節)。しかしそれは条件付の赦しでした。神に反逆した20歳以上の第一世代は、皆荒野で死に、悪い報告をもたらした偵察隊も疫病で死に絶える、しかし、神への信頼を訴えたヨシュアとカレブだけは生き残る、と。20歳以上というのは、おそらく善悪のわきまえのない次世代に、この事件の責任はないということでしょう。しかし物事をすべて了解していながら、なおも頑なに神を拒むならば、その責任は問われるのです。神は赦しの神ですから、神の前に悔い改める者を不信仰な者どもと一緒に滅ぼすことはありません。神は思慮のない裁き主ではないのです。
2.遅すぎた服従(14:39-45)
イスラエルの民は、神の裁きが告げられると、深い悲しみに沈み、翌朝、今からでも、神に従おうと、約束の地へ押し入ろうとしました。しかし、それは神の望むところではありませんでした。悔い改める者に求められることは、神の次の指示に従うことでした。神はもはや戦えとは言わず、荒野へ向かえと言っていたのです(25節)。結局彼らは、神の言葉に不注意であるために、どこまでも神に逆らう行動を取るのです。彼らは神の怒りに晒されて滅んだというよりも、滅びるべくして自ら滅んだというべきでしょう。せっかく神が与えられた、「自分たちよりも大きくて強い国を占領することができる」チャンスを、彼らはその不信仰の故にみすみす逃してしまいました。求められていることは、ただ、神が与えようとしているものを、信仰をもって受け入れる、より頼む心でした。信仰は目に見えぬことを実現させる力であり、それは負け犬に出来ることではなく、勇気ある行動なのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。イスラエルが偵察隊の報告に、意気消沈、落胆した時に、民を静めて、必ず打ち勝つことができると民を励ましたのは、誰でしょうか。答えはカレブでした。では今日の聖書クイズを一つ。アマレク人が、イスラエルの地から一掃されたのは、どの王様の時代であったでしょうか?①ダビデ、②ヒゼキヤ、③ゼデキヤ、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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