申命記11章 天からの雨で潤っている

申命記11章 神の御教えに生きる勧め

1.神の恵みによる祝福 (1-8節)

この時、イスラエルの民はモアブの野にいたようです(民数記16:1-35)。彼らは、まだ荒野にとどまっていて、約束の地の一歩手前に立ち止まっていました。しかも、その約束の地に向かって突き進んでいたわけでもなく、荒野に留まろうとしているのでもない、実に宙ぶらりんの状態でした。まさに無為な時が流れているような状態です。そのように感じる経験は、形こそ異なれ、私たちにもあることです。そこで神が彼らに何と語られたのかに耳を傾けましょう。

7節、「これら主がなさった偉大なみわざのすべてを自分の目で見たのは、あなたがたである。」ここであなたがたというのは誰でしょうか。考えてみれば、荒野の旅は約40年となれば出エジプトの出来事を目撃したあなた方と呼ばれる人々は、40歳以上の者、しかもその出来事をよく覚えているとしたら大まかに50歳以上の者だったと思わされるところです。神はその第二世代の壮年層に向かって、神の命令を守るように語るのです(8節)。そしてその事実を知らない第三世代の子どもたちに教えなさいとも語るのです(19節)。そして、神のみ教えに従っていくならば、あなたがたは強くなると神は約束しています。そして所有しようとしている地を所有することができると言います。

教えられることは、無為な時を過ごす、だらだらと数年が過ぎていく、と思われるような状況にあっては、落ち着いて神の命令を思い起こし、これを行い、さらに、次の世代を教育しながら、神の助けがあるとしっかり神に信頼することでしょう。

2.神、主を愛し、仕える(9-25節)

さて、イスラエルが出て来たエジプトの地と、これから入って行き所有しようとしている約束の地とが対比されています。「あそこでは、野菜畑のように、自分で種を蒔き、自分の力で水をやらなければならなかった」(10節)「自分の力で」の直訳は、「自分の脚で」です。エジプトの地は、雨が少なかったので、ナイル川の水を畑まで灌漑する用水路が作られていました。しかし、彼らは、その用水路から畑に水を引き込むために、足で水車を回していたのです。つまり、自分の脚で水をやらなければならなかった、そのような土地から、今入って行こうとしている土地は、天の雨でただ潤っている土地であると言います。私たちの努力がなければ何事も進まないと考える、そうではない、状況があると言うのです。ある意味で、私たちが収穫のために努力をしなくても豊かな実りを得るような言い方です。しかしそれが「恵み」と言うものでしょう。もちろん、全く何もしなくてもよい、と言っているわけではなく、神の民に対する神の働きがあってこそ祝福の人生であると言うのでしょう。ですからまず何よりも、神の命令に従い(13節)神の道からそれないように意を注ぎ(16節)、次世代への教育(19節)を大事にしなさい、と言うわけです。

3.祝福とのろい、決断と選択への召し(26-32節)

大切なのは、神のみおしえを守って生きるという淡々とした歩みに集中することです。それは、18-20節に教えられているような具体的な努力です。聖書日課でも、祈りでも、教会出席でも献金でも、目に見える形でカレンダーに記しを付けたり、日課表をペンで記したりしていることが大切なことなのかもしれません。

そこで決断を神は迫ります。ゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを、この儀式については、27:11-26に詳しく書かれています。そしてこれが実際にどのように行われたのかは、ヨシュア記8:30-35に記録されています。なお、ゲリジム山は、イスラエルの民にとっては、シェケムの聖所の右側にあり、エバル山はシェケムの聖所の左側にありました。東を向いて右は南側、左は北側。右は優位な地、祝福と考え、左(北方)はその反対と考えたのでしょう。ともあれ、右か左か、祝福かのろいかの二者択一が求められています。31-32節は、第二の説教の序論的な部分の締めくくりであり、明日から読んでいく、第三の説教(12-26章)の中心的な内容となるものです。

神は強制されませんが、ご自身の祝福を注ごうとされておられるのは確かです。私たちが祝福を選ぶか、のろいを選ぶか、腹を決めて、主のみ教えに生きる具体的な歩みに踏み出していく、そこに神の恵みによる実りがあると心得たいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。旧約の預言者の内、体ではなく心の割礼の表現を用いてそれを強調して語っている預言者は誰でしょうか?①イザヤ、②エレミヤ、③エゼキエル、答えは②エレミヤ(4:4、9:26)と③エゼキエル(44:7、9)です。では今日の聖書クイズを一つ、ゲリジム山とエバル山、どちらが高い山であったでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<天草さんのフォローアップ>

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