2歴代誌34章

34章 ヨシヤの宗教改革

<要約>

おはようございます。キリスト者の基本は、聖書主義であることでしょう。誤りなき神のことばである聖書がなんと語っているか、そこに聞いていく姿勢であろうと思います。そこに、キリスト教会の力強い証も生まれるのです。今日もも、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

  1. ヨシヤ王の宗教改革

ユダ王国末期の王ヨシヤは、8歳で王となり、16歳で主を求め始め、20歳で宗教改革を始めた。彼の父アモンは、全く神を求めない者であったが、ヨシヤは違っていた。ヨシヤは徹底した宗教改革者となっていく。何が彼をそのようにさせたのか。敬虔な母親エディダの影響があったとも言われるが、確かなことはわからない(2列王22:1)。あるいは、ユダの国を取り巻く国際情勢において、しばし、アッシリヤ帝国の勢力が弱まり、ナショナリズムが台頭しやすい時期となり、ヨシヤは復興に動いたのかもしれない。また、預言者エレミヤの活動が、まさにヨシヤ王の改革開始の年に始まっていることから、そのような大預言者の影響があったのだとも考えられている。

ともあれ、神がヨシヤ王の心を捕らえ、改革の志を支えられたことは確かである。ヨシヤは、次々と、ユダとエルサレムを聖め、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。彼は人々の面前でバアルの祭壇を取り壊し、それらを粉々にした。そして、主の宮を修理させている。さらにその過程で、主の律法の書を発見し、それを読み、彼は「自分の衣を裂いて」(19節)一層徹底した改革へと乗り出した。実に、彼は、改革が必要なことを覚え、自分の思うままに始めたが、主の律法の書に出会った時に、それでは足りない、認識不足であると彼が悟ったところが重要である。やはり、母でも、国際情勢でも、預言者でもなく、神のことばに動機づけられない限り、真の改革は進められないのである。まさに、心を尽くして主を尋ね求め、主のさとしを守ることが、私たちの原動力となる。

2.発見された律法の書

祭司ヒルキヤが見つけた書は、申命記的資料であろうとされる。というのも、ヨシヤ王の宗教改革の内容が、申命記4:44以下、ことに12-26章に相当すると考えられるからである。その内容がどうであれ、彼の改革はすでに始められていて、彼の改革にまことの火を注いだのは神のことばである。そのような意味では、今こそ聖書のみことばの味わい深さを掘り起こすことが求められている時代なのだろう。

ヨシヤは、女預言者フルダを呼び寄せている。ヨシヤが、自分の時代に必要とするのは、神のことばの代言者、預言者であると理解した。イベント屋でも、政治/経済の専門家でも、武器商人でもなく、彼はまさに神のことばを真に解き明かす人を求めたのであった。

実に、聖書を手に取って読む。聖書を真に解き明かす者こそが、今の日本においても求められている(31節)。真の改革に必要なのは、神のみことばである。そして自己流ではなく、聖書に深く聴き、これを徹底して行う心だろう。またこれを互いに分かち合い、共に神の前に遜り、共に神に仕える輪を広げることだ(32節)。神は生きておられる。聞き従う時に、神は応じられるのである(27節)。

 

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