ヨナ書1章

ヨナ1書 神の御顔を避ける恐ろしさ

おはようございます。ヨナ書に入りました。神の御顔を避ける、その恐ろしさは、同時代のアモス書のメッセージを踏まえて、さらに理解できるところでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.ヨナ書の背景

ヨナは、ヨアシュの晩年、ヤロブアム二世の治世の初年頃、つまり預言者アモスやエリシャが活躍していた時代の預言者、と考えられています(2列王14:25)。ヨナは、衰退したイスラエルの回復と繁栄を預言しました。そしてヤロブアム二世の時代、イスラエルは、彼が預言したとおりにソロモン時代に匹敵するほど国土を広げ回復し、繁栄したので、ヨナは、人々の耳目を集める預言者となっていたようです。

またこの時代、北側の強国アッシリヤも、勢力を拡大していました。アッシリヤが侵略した国々で行う残忍な振る舞いは、人々の噂となり恐れられていました。後にナホムは、アッシリヤの滅亡を預言し、「おまえのうわさを聞く者はみな、おまえのことで手をたたく」(3:19)と語りましたが、ヨナもアッシリヤについては、同じ思いであったことでしょう。またこの野蛮な国は、イザヤやホセアによって預言されたとおり、近い将来、イスラエルに侵略してくると考えられた国だったのです。

このような背景にあって、神はヨナにアッシリヤが滅ぼされないように、神の警告を伝えるように命じられるのです。そこでもし、ニネベが神の前に悔い改めれば、神はニネベを惜しみ滅ぼされないことでしょう。しかしそれは、イスラエルにとって将来的な脅威となることは明らかです。どうして神の警告を伝える必要があるでしょう。ヨナは神の命令を無視し、主の御顔を避けて逃げ出しました(3節)。 もはやヨナは、神の目を見ることができない思いでいたのです。タルシシュへの道はニネベとは全く逆の道でした。

2.追いかける神

同時代の預言者アモスの預言を思い起こしたいところです。神から逃れようとして逃れられる者は誰もいません。ヨナが乗り込んだ船は嵐に見舞われ、人々は、ヨナが神の御顔を避けて逃れようとしていることを知り、非常に恐れたと言います。当時、アモスによって語られたことは、イスラエルのみならず、広く周辺の国々にも知られていました。「たとえ、よみに入り込んだとしても、引きずり出す。身を隠したとしても探しだして捕まえる(9:1-4)」と語られた神のことばの意味を、そしてそのように語られる神が生きておられることを、人々はまさに嵐で海に沈められる恐怖の中で体感したと言えるでしょう(15節)。そうであればこそ、ヨナを海に投げ込んで海が凪ぎとなった時に、一層、主の存在に身震いする思いとなったことが理解できるのです。聖書に書かれたことは神話ではありません。それはまことに生きておられる神のことばです。

世界の人口は約75億、その中のたった一人に神が関わって、どこまでも追いかけられるとは、不思議です。しかし、神にとって、出来損ないの人間、どうでもよい人間はいません。一人一人が神の期待の中に生かされていることを覚えたいものです。