ヘブル人への手紙3章

ヘブル人への手紙3章 モーセの忠実さに勝るイエス
1.モーセに勝キリスト(3:1-6)
先の1、2章では、当時の読者の間で崇敬されていた、御使いが取り上げられ、キリストは御使いに遥かに優る存在であると語られていました。キリストの十字架、復活、高挙は、御使いがした、あるいはしてくれることに優るものであった、と。
続いて、著者は、当時の読者の間で同じように崇敬されていた、旧約時代の指導者モーセを取り上げます。そして、イエスは、そのモーセに遥かに優る存在である、と語ります。比較のポイントは、神の家、または神の家族と象徴的に語られる、イスラエルの民の中でどのような役割を演じたかです。モーセは神の家の一員として、しもべとして忠実であった。イエスは、神の家を治める者として忠実であった、ということです。
具体的に語れば、かつてモーセは、エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民を、神の助けにより解放し、約束の地、カナンへと移住させることに成功しました。しかしその旅は、容易なものではなく、荒野を40年も彷徨い続けた結果、という過酷なものでもあったのです。その40年間、モーセは、イスラエルの民の一人として、指導的な役割に忠実であったと言います。他方イエスは、単に指導的な役割を担ったというのではなく、全人類が神の安息に入るために、ご自分を十字架上におささげになる、特別な使命を担っていました。全人類の身代わりとなり、救いを完成する御子の役割に忠実であったのです。
2.聖霊の警告に注意せよ(3:7-19)
 著者は、モーセに勝るイエスに注目し、以下の勧めを心に留めるように語ります。
(1)第一に、昔のイスラエル人のように心を頑なにしてはいけない(8節)、ということです。神を信じるならば、信じる信じないで、ふらふら揺れていてはならない、迷っていてはならない、ということです。
(2)第二に、不信仰が強くなって、神などやっぱいないのだ、と迷い出てしまうことのないように、気をつけなさい、と言います(12節)。走れメロスという小説がありますが、人の友情を信じ続けることもまた難しいことですが、さらに目に見えない神の愛と哀れみを信頼し続けることは難しいものです。神を信じるというのは、結構ハードルの高いことなのですね。でも、信じない者にならないで信じる者になりなさい、というわけです。
(3)そうであれば第三に、日々、互いに励まし合い(13節)信仰の道を進んでいきなさいと勧められます。信仰が進むように、この世の社会には教会が与えられているのです。コロナ禍になって、多くの教会は、オンライン礼拝を行い、教会という場所に集まることがなくなりました。それだけ、孤独な信仰生活を続け、色々な世間の荒波の中で、やせ細りそうな思いでいる方々も多いことでしょう。兄弟姉妹と互いに呼び合う実質が問われるのはこのような時なのです。誰一人落伍することなく、素晴らしい神の御国の安息に入ることができるように、このような時にこそ、教会は建物ではなく、人であること、お互いに支え合う者たちの集まりであると心得たいものです。
(4)そのようにして最後まで忠実でありなさい(14節)、また、神を信頼しし続けましょう(19節)と勧められます。人生は、荒野を彷徨う如きものである、と思わされることがあるかもしれません。しかし人の人生は、荒野のようなこの世の営みで終わるものではありません。永遠の安息、神の御国の祝福が待っているのです。神を信頼し、この世の歩みを、手を取り合って、乗り切ってまいりたいものですね。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「聖書には、いくつか天使の名前が出てきますが、その中で天使長と見なされているのはどれでしょうか。答えは①ミカエル(ダニエル10:13、21、黙示録12:7)では、今日の聖書クイズを一つ。かつてモーセに率いられたイスラエルは、エジプトの国から約束の地カナンへに入るのに40年間荒野を彷徨い歩きましたが、実際にエジプトから約束の地カナンまでは、どのくらいかかる道のりだったでしょうか?①1年、②1か月、③2週間、答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。