ヘブル人への手紙4章

ヘブル人への手紙4章 安息に入る
1.安息に入る約束(4:1-11)
昨日は、イエスが旧約時代のモーセよりも、優れていることをお話しました。後でもう少しこれをクリアに説明できないものか、色々と考えていました。それで思いついたのは、こういうたとえです。ある敵対的な第三国と国交を回復したいと思うならば、まずその国に打診をすることでしょう。そして国交回復を成し遂げる人がいます。その後、国交が回復されたその国に行くために道案内をしてくれる人が、必要となります。どちらが偉いかと言えば、困難な国交回復を成し遂げた人に間違いはありません。イエスは全人類の身代わりとなって、十字架にご自分のいのちをささげ、神の怒りを宥め、神との和解を成し遂げてくださった人だとすれば、国交回復を成し遂げた人です。その後、罪人に、イエスの十字架にある罪の赦しを指し示して、神の御国に入るためには、このイエスを信じ受け入れることだ、と道案内をする人が必要ですが、これは荒野から約束の地カナンにイスラエルを具体的に先導したモーセが果たした役割と同じです。ですから、イエスはモーセよりも偉大だということになります。
大切なのは、1節「神の安息に入るための約束はまだ残っている」という点です。つまり、国交は既に回復されていて、人は行こうと思えばだれでも、国交の回復された神の御国に入れる状態にある。だから、「そこに入れなかったということのないようにしましょう」というわけです。そして入るために必要なのは、イエスキリストの十字架にある罪の赦しを信じる信仰ですよ、ということになるわけです。不信仰になって入れないということがないように、むしろ7節「今日、この招きのことばがわかるなら、心素直になって、イエスの十字架にある罪の赦しを受けなさい」と言うわけですね。
2.安息に入ることの重要さ(4:12-16)
そこでヘブルの著者は、12節から、神の御国の安息に入る祝福が、いかに人間にとって根本的な問題なのかについて触れています(12節)。聖書は神の言葉であり、生きていて、力があり、人間の最も心の奥深い部分にメスを入れるものです。人は、聖書を読む時に、やはり心を探られます。人は、自分は犯罪人だとは思わないでしょうが、自分は立派な人間、何一つ汚れのない人間だと思うような人はいないでしょう。どこかかしこか、叩けば埃が出てくる、人はそのような罪感覚は持っていると思うのです。あからさまに、あなたは罪人だと言われると、反発心が先に立ちますが、一人胸に手を当てて、私の先祖も私も、何一つ悪いことはしていない、と言い切れるかと静かに考えると、そうではないなあ、とあれこれ心がちくりちくりすることはあるものでしょう。そのような意味で、静かに聖書を一人読み進むなら、やはり自分は正しい人間ではないなあ、ということがよくわかることはあると思うのです。大切なのは、そこで自分を誤魔化さないことでしょう。というのも、13節、「神の御前にあらわでない被造物はありません。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。」やがて、寿命となり天に召された時に、やはり、閻魔様がいるというよりは、裁き主であり、この世の創造主である神の前に立たされて、一切合切の弁明をさせられることになる、と聖書は言います。あの世のことは、誰も確かめて帰ってきた者はいませんが、事実そのようなことがあるのだ、と聖書は言うのです。ただ、そこであれこれ弁明と求められても、側に一緒に立ってくださるイエスがおられて、イエスに免じて、神様が、ちゃんと受け入れてくださるというのです。しかも、この神との和解を成し遂げてくださったイエス様は、人間の地上の底辺の生活を味わったお方です。どんな底辺の人であろうと、イエス様がしっかり弁明してくれるから、心配は何もない(15節)、というわけです。しっかり胸を張って、神様の前に出られる、これは素晴らしいことだから、早く、イエスの十字架にある罪の赦しを自分のものとして受け入れなさい、というわけです。ぜひ、イエスの救いのことばを受けていただきたいですね。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「かつてモーセに率いられたイスラエルは、エジプトの国から約束の地カナンへに入るのに40年間荒野を彷徨い歩きましたが、実際にエジプトから約束の地カナンまでは、どのくらいかかる道のりだったでしょうか?答えは③2週間でした。では、今日の聖書クイズを一つ。イスラエルの祭司制度には、大祭司、祭司、レビ人の三階級がありますが、これらを担ったのは、イスラエル12部族の内どの部族でしょうか?①ユダ族、②ベニヤミン族、③レビ族、答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。