ヨシュア記18章

ヨシュア記18章 ベニヤミン族の挑戦
<要約>
おはようございます。周囲が主の祝福の与る中で、自分はまだ何も、ということはあるものでしょう。なかなか一歩を踏み出せない。しかし、神の祝福は確かであり、その祝福を手に出来ると約束を理解していても、その最初の一歩を踏み出さずに、祝福の実現もないことは確かです。まずは、なすべきことを書き出して見ることでしょう。そして、自分の力ではない、神の導きによる一歩を踏み出すことも大切です。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.占領に手をこまねる部族
 エフライム地方にあるシロの町は、現在のキルベト・セイルンの遺跡のある所とされている。カナン征服後は、ここが本営となり、会見の天幕が立てられている。シロはこの時からエリの時代まで、イスラエルの宗教と政治の中心地となった。そして会見の天幕ももはや移動されることがなく、この地にとどまった。後に、それが「会見の天幕」とは呼ばれず、「主の宮」(1サムエル1:9)と呼ばれるようになったのは、そのためであろう。
 イスラエルは12の部族がいたものの、すべての部族が同じ力量、同じ動機づけを持っていたわけでない。カレブのような強いリーダーシップを持ったユダ部族、人数的にもパワーのあるマナセやエフライム部族がある一方で、この章に描かれるように、相続地を自分のものとするため、ヨシュアによって具体的に行動を促される7つの部族もあった。そこでヨシュアは、残りの部族への割当と占領を促していく。ベニヤミン族(18:11-28)、シメオン族(19:1-9)、ゼブルン族(19:10-16)、イッサカル族(19:17-23)、アシュル族(19:24-31)、ナフタリ族(19:32-39)、ダン族(19:40-48)、と次章まで続く内容となっている。
ヨシュアは言う。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。」カレブのように、勇敢に攻め続け、自ら約束の領土を手中にしていくリーダーがいる中で、いつまでもぐずぐずと手をこまねいている者たちもいた。ここでヨシュアは、単に叱咤激励しているのではない。「部族ごとに三人の者を出しなさい。その地を行き巡り、その地について書き記し、私のところに戻って来るため」(8節)と具体的に、指示を出している。占領すべき土地の目標を与えているのである。
2.ベニヤミン族
 具体的に目標が示される。まず、ベニヤミン族に割り当てられた地。それは、それほど大きくはない。北の境界線は、ヨセフ族の領土の南側に接し(12、13節)、南の境界線はユダ族の領土の北側に接する(15-19節)、また、西の境界線は、ベテ・ホロンからキルヤテ・エアリムまでの短い距離で(14節)、東の境界線はヨルダン川に接する(20節)。これらには、全部で26の町が含まれていたが、二つのグループに分けて、記録されている(21-28節)。そこに何の意図があるのかは、わからない。
 ただ記録されている町々は、聖書史的には興味深いものである。ギブオンにはラケルの墓がある。ミツパは、祈りと礼拝の場所(1サムエル7章)、軍事的、政治的な要衝(1列王15:22)としてしばしば旧約聖書に登場してくる。ギブアはサウルの出身地である(1サムエル15:34)。
 彼らの占領する土地が、いずれイスラエルの歴史を刻む土地になるなど、一体当時の誰が思い得たことであろうか。初めの一歩は、大変な苦労であるかもしれないが、やがてそれは実り多い結果をもたらすのが神のご計画である。与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか」この一言に応じて、割当の地を行き巡り、調査するところからすべては始まった。最初の一歩を踏み出すには勇気が必要だ。それがどのような結果をもたらすかも私たちはわからない。後にそれが多くの実を結ぶと、信仰を抱いたとしても、実際にその一歩を踏み出さなければその結果は得られない。カレブのように大きなことはできないかもしれない。マナセやエフライムのように大きな挑戦はできないかもしれない。しかし、神の約束が確かであることを信じ、神が私たちと共に戦ってくださることを信頼し、ただ信仰により、最初の一歩を踏み出すことをよしとしよう。

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