出エジプト記21章

21章 奴隷法,刑法(殺人,誘拐,侮辱,傷害,過失傷害)
1.奴隷に関する神の定め(21:1-11)
今日の箇所は、日本の刑法を学んだことのある人にとっては、実に、興味深い内容があります。最初に、当時の奴隷制度についての神の定め(1-11)、そして後半、現代では、刑法と呼ばれる規則集となっています(12-36)
まず、奴隷に関する定めは、旧約においては三箇所に記録されております。この箇所と、申命記15:12-18、レビ記25:39-44がそうです。そしてこの箇所は、基本的に奴隷は、期限を切って解放すべきものであること、そして、ことに女奴隷を去らせる時には、十分な配慮をすべきことを語っています。近代の奴隷について言えば、奴隷の運命は、所有者である主人が愛情深い人であるかどうかにすべてがかかっていました。しかし、聖書は、人任せではなく、所有者の行動に制限を加えることもって、奴隷とされた者の尊厳を守るべきことを教えるのです。
2.刑法総論に関する事項(21:12-36)
続く12節からは、一般に刑法と呼ばれる内容になっています。これを読んでいくと、今日の刑法総則に通じるものがあれこれ出てきて興味深い思いがします。たとえば全般を通じて「罪刑法定主義」の考え方があることがわかります。つまり、ある行為を犯罪として処罰する時には、何が犯罪であるか、またそれにふさわしい刑罰は何であるかをあらかじめ明確にしておく、という考え方です。また13節、他人に損害を与えても、故意または過失がない限り、賠償責任を負わせないという「過失責任主義」の考え方も示されています。さらに「善管注意義務」という考え方、誰でも、危険予測ができる程度のことを怠ったら処罰を免れることはできない、という考え方があります。具体体的に33節、人が水ためをほって、それにふたをしないで家畜が落ちて死んだら、当然責任を問われることになります。さらに刑罰に対する考え方として、24、25節、刑罰を応報としてのみならず、犯罪防止のために必要と考える「相対的応報刑論」というよりは、刑罰によって犯罪を相殺しようという「絶対的応報刑論」の立場が示されているのは興味深いところです。実に、聖書を宗教書と考えている人は多いと思いますが、まずは常識の書なのです。
3.刑法各論
次に、各論的に見ていくと、「生命・身体に対する罪」いわゆる殺人罪、誘拐罪、傷害罪、過失傷害についての定めがあります。まず一般に殺人罪の法的要件は「人を打って死なせる」ことで、その法的効果は死刑となります(12節)。さらに、実際に死刑という罰を負わせるかどうかの判断とするポイントが、現代刑法の論点に通じて興味深いところがあります。つまり13節、殺意がない場合(法益侵害についての認識がない場合)、殺人者は、復讐から守られるために特別に設けられた逃れの町に逃げることが許されます。しかし、明らかにその殺人が故意、計画的だと理解される時、殺人者は死刑を免れることはないのです(21:14)。次の15節は尊属殺人について定めるものです。日本では、1973年に違憲とされ現在では法律から削除されていますが、両親を殺した場合(21:17)その法的効果は「死刑」で、それ以外の選択肢はありません。18-21節は、傷害罪について定めます。まず今日でいう一般傷害罪(21:18-19、21)として、その法的要件は「争って怪我をさせる」ことで法的効果は「弁償」であるとします。20節は、「傷害致死罪」で、法的要件は、「杖で打ちその場で死なせる」ことで、法的効果として「復讐」を認めます。なお、22、23節は「過失傷害罪」を定めるものです。具体的に「争っていて、みごもった女に突き当たり、流産させ」てしまう過失を定めています。
 最後に、今日で言う「自由及び私生活の平穏に対する罪」の「略取及び誘拐の罪」が定められています(21:16)法的要件は「人をさらう」ことで、その法的効果は「死刑」です。今日の日本では、未成年者略取、誘拐の場合は、三ヶ月以上五年以下の懲役、営利・猥褻目的の略取、誘拐は、1年以上10年以下の懲役、身代金目的の略取、誘拐は、無期又は3年と規定されていますから、死刑は随分重すぎるようにも思われますが、神は、それほど人間の自由と平穏は尊重されなくてはならないと教えるのです。
 こうしてみると、聖書は、私たちの社会生活の基礎となることを教えていると言えるのではないでしょうか。聖書が単なる宗教書ではないのだな、と気づいていただけたら、私は嬉しく思います。ぜひ、聖書を続けて読んで人間がまことに生きる道を見出していただきたいと思います。聖書あってこその人間社会と言うべきでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「ユダヤ教では、キリスト教会が十戒の前文とするものを第一の戒めとします。となると、ユダヤ教はどの戒めを省略、あるいは二つを一つに結合しているでしょうか?答えは、第九と第十の戒めを一つにするでした。ユダヤ教、カトリック教会、ギリシア正教、プロテスタント教会、同じ十戒を大事にしながら、それぞれ微妙に区分が違っています。では今日の聖書クイズを一つ。奴隷は永遠に所有することを許されませんでしたが、では、何年目に奴隷は解放されなくてはならなかったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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