29章 祭司としてのつとめ、捧げ物、祭司聖別の儀式(29)
1.祭司の任命(29:1-9)
昨日は、幕屋で働く人、祭司の衣装について説明がなされました。今日はその続きで、具体的に祭司を任命し(1-9)、その職務(10-41)を説明します。実際に幕屋で何をするのか、その一連の活動が簡単に説明されるのです。その細かな説明は、後で読むレビ記にあると考えてよいでしょう。ともあれ、祭司の任命にあたって、まず任命のための奉納物を用意し、沐浴をし、先に説明された聖なる装束に着替え、油注ぎをし、任命します(1-9)。
モーセの時代の前にも、祭司的な役割を果たす人はいました。たとえばノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨブたちは、家族、部族を代表して、祭司の職務を担っています。しかし、イスラエルにおいて公式に祭司が任命されるようになったのは、このシナイ契約の出来事の後のことです。そして祭司職は、まずアロンとその子らに特定されていました。
2.祭司の務め(29:10-41)
1)罪のきよめのささげものをささげる(29:10-14)
次に、祭司の務めについて、それは第一に、雄牛などの犠牲動物を罪のきよめのささげものとしてささげることです(10-14)。神の戒めを犯すなら、その償いをしなくてはなりません。しかし、それは死をもって償われるべきもの、そこで神は、私たちにその身代わりを用意されたのです。罪を犯した者(の代表)が犠牲動物の頭に手を置き、屠り、血を祭壇の角に塗り、土台に注ぎ、脂肪を祭壇で焼く。祭司は、人の罪が赦されるためのこの一連の作業を進めるわけです。この一連の手順の中で注目すべきことは、いけにえの頭に手を置くことで、ささげる人といけにえの動物とが一体となり、神の刑罰を受ける義務が人から動物へ移行し、これによって身代わりが成立する点です。その行為は、あくまでも象徴的なものであって、大切なのは、そこで、悔い改めの心をしっかり持つことです。神の赦しを願う真摯な心を持ち、犠牲動物の血が自分の罪の赦しのために流された、一つのいのちが失われたことを厳粛に受け止め、自らの歩みを一新させる心を持つことです。
後に新約聖書のへブル人への手紙の著者は、新約におけるイエスの十字架は、これら犠牲動物のいけにえの中でも、完全な、すべての人の罪のため、一度限りの永遠のいけにえとして、ささげられたものであることを明らかにしています(ヘブル10:8-10)。
2)全焼のささげものをささげる(29:15-18)
次に、全焼のささげもの(15-18)。これはイスラエルの歴史上初めてのことではなく、箱舟から外に出たノアもささげたものです(創世記8:20)。そのいけにえの特徴は、動物を跡形もなく焼き尽くし、煙として主のもとへ立ち上らせるもので、そこにささげる人の全面的な神の献身を表そうとするものです。
3)任職のためのささげものをささげる(29:19-35)
19節からは、祭司に任職するためのささげものが説明されます。そこにはまじわりのいけにえも含まれます(27-28)。その特徴は、いけにえの脂肪を祭壇で焼いて神にささげ、胸とももは奉納物として祭司のものとし、残りを礼拝者が聖所で食べる会食を伴うことです。会食を設けるのは神であり、神との平和の回復を喜ぶことがその中心です。以上一連の任職聖別式が、七日間続けて行うことが定められています(31-35)。
4)朝と夕の常供のささげもの(29:36-46)
36節以降に続くささげ物は、はたして任職式と関連があるのか、そうではないのか、はっきりしないところです。レビ記の祭司任職式に関する規定ではこの部分がはいっておらず、従ってこの部分は別のことを言っている、つまり朝と夕の常供のささげもののことであると考えられている部分です(民数28:6)。
毎朝、毎夕絶やすことなく、祭司はいけにえをささげるのです。それは牧師の職務を象徴的に語っています。プロテスタント教会の牧師の重要な職務は、毎週日曜日の説教にある、そのように思われている方も多いでしょう。確かに重要なピークとなる職務ですが、実際には、朝夕絶やすことのないとりなしの祈りがあってのピークです。朝ごとに神の前に出る、夕ごとにとりなしのために再び神の前に出る、そこを抜きに日曜日の説教はあり得ません。そして万人祭司(1ペテロ2:9)という考え方からすれば、牧師のみならず、信徒もまたこの務めに招かれているのです。今日私たちは犠牲動物をささげることこそしませんが、一度きりの永遠のいけにであるイエス・キリストの御名によって神に近づき、神にとりなしの祈りをささげる、これは、今なお求められている祭司としての職務でしょう。今日も、その務めをしっかり果たしてまいりたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「祭司が、エポデと青服の下に着る白い長服は、どのような模様で織り込まれたものであったでしょうか?」答えは市松模様(28:4)でした。ヘブル語は、シェベツ、「織り込む」ことがその原意です。つまり市松という柄、デザインよりも、一松用に織り込む、織り方への拘りがあるのでしょう。では、今日の聖書クイズを一つ。古代イスラエルにおいてささげられたささげ物は、初めは全焼のいけにえ一つでしたが、モーセの時代、それは何種類に定められたでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
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