出エジプト記28章

28章 祭司服作成上の規定
1.大祭司の装束
神を礼拝する場所についてその形が説明された後、今度は、そこで働く人、つまりアロンとその子らが身にまとう衣装が説明されます。つまり祭司服のデザインについて、4-39節までが、大祭司、40-43節は普通の祭司の衣装について説明します。大祭司は、胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯を身に付ける。ことにエポデと裁きの胸当てについて丁寧に説明されているのは、それが重要であったからでしょう。つまり祭司は、神と人を仲介する重要な働きをします。そのため、特別な働きをしていることを示す衣装を身に着けなくてはなりませんでした。大事なことは、それが祭司の「栄光と美」を飾るものではなく、神の「栄光と美を表す」ものであった、ということです。後にイエスは、律法学者たちが、自分たちの身につける衣装について、経札(きょうふだ)の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりすることを批判しています(マタイ22:5)。それはまさに神のものである「栄光と美」を自分たちのものにしていることへの批判でした。彼らは、そのような衣装を身にまとうことで、神に仕える特別な職務についているのだから、心してこの時を、というのではなくて、私は皆とは違う、偉いのだ、と優越感に浸る間違いを犯していたのです。今日、そのような意味では、日本の牧師が、スーツにネクタイをつけて正装をして職務に当たるのは、間違っていないことでしょう。信徒や新来会者に親しみやすくと、正装をしない牧師も最近は多いと思いますが、少なくとも、
神は、特別な職務に与ることを意識させる形を与えられたことについて、やはり心を留める必要はあるものでしょう。
(1)エポデ
さて少し、わかりにくい用語を説明しておきましょう。エポデは、12種類の宝石を並べて飾った「裁きの胸当て」を結び付けたものです。宝石は、それぞれイスラエルの12部族を象徴し、神の目に、イスラエルの民は宝石そのものであること(マラキ3:17)、つまり神の目に高価で尊いことを意味しました。また、エポデの肩宛には、イスラエルの子らの名が刻まれた二つの石が飾られました。つまりこれらの装飾は、祭司の威厳をかもし出そうとするものではなく、祭司がイスラエルの民を代表する者として、神の前に出て、神と人を仲介する職務に与ることを意味したのです。祭司の自尊心をくすぐる要素はそこに微塵もありませんでした。
(2)ウリムとトンミム
 次に、ウリムとトンミム、これはヘブル語の音訳で、実際これが何であるかはよくわかっていません。おそらく、木片か、金属か、石か何かで出来ていて、籤のように、神のご意思を明らかにする託宣用具であったのではないか、と考えられています。ただ、これは中心的な道具ではありませんでした。神は、ご自分の意思をモーセに直接的に語っているからです。金の鈴は、魔除だとする説がありますが、天地創造の神に魔除は不要でしょう。むしろ警告の鈴とされます(35節)。祭司が、不用意に神の前に出ることへの警告、つまり、聖なる装束を身に着け、整えられて神の前に出ることを、音でも確認するためのものです。
このような祭司の衣装を作る素材はどこから来たのか。12章に遡って確認すると、イスラエルの民は、エジプトを脱出する際に、エジプト人の好意を得て、エジプト人から金銀をはぎ取ったとあります(12:36)。つまり神がエジプト人に働きかけて、あらかじめこの時のために備えてくださったものでした。すべてよきものは上から来るものです。神は、民に幕屋と祭司の衣装を作るように求められましたが、それらの材料もまた、あらかじめ神が用意してくださっていたものであったのです。となれば、神が、私たちに何かを求められることがあるとするならば、それに必要なものは、全てあらかじめ備えてくださっておられると考えることができます。教会を建てることについても、教会が何か地域社会のためにすることについても、神の備えがあると信じてよき業に励みたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「聖書の単位、キュビトは、約何センチと覚えるとよいでしょうか?」答えは約44.5センチでした。古代には今日のような物差しはなかったので、身体の一部分を使って、測量の道具としました。キュビトは中指の先から肘までの長さで、約44.5センチです。また、一手幅さらに長い、王のキュビトという長さは、約51.9センチとされます。では、今日の聖書クイズを一つ。祭司が、エポデと青服の下に着る白い長服は、どのような模様で織り込まれたものであったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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