出エジプト記3章

3章 モーセの召命
1.モーセに現れた神(3:1-14)
 その日、モーセは、羊を追って、ホレブの山へやってきました。ホレブはシナイとも呼ばれ、その使い分けについては、種々説明されていますが定説はありません。その具体的な位置についても、実際にははっきりわかっておらず、伝統的には現在のジェベル・ムーサであるとされてきました。ともあれモーセは、そこで柴、おそらくアカシヤの木とされているものが、燃えているのに焼けつきない不思議な現象に出会うのです。そして好奇心にそそられて近づこうとすると、主がモーセを呼び止められて、語られました(6節)。まず主は、ご自身がイスラエルの痛みと苦悩を心に留めておられると言います(7節)。そして契約に基づいた(2:24)救いの計画を持っておられる、と言います(8節)。最後に、その計画を実現すべく、モーセを選ばれたと、モーセに顔を向けるのです(10節)。
 しかしモーセはこの神の召しに戸惑うばかりでした。今やモーセは、人里離れて住む一介の羊飼いに過ぎませんでした。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは」(11節)。戸惑うモーセに神は、重ねて具体的にすべきことを語り聞かせ(16-22)、そうするように求められています。
そこでモーセは、正体も現さずに語り掛ける声の主、その神秘的な存在について理解を深めようと問いかけます。すると神はご自分を、「わたしは、『わたしはある』という者である」と説明されました(14節)。「わたしはある」と訳されたヘブル語は「存在する」を意味するハヤーで、その動詞の時制は、継続を意味しています。つまり、「わたしは存在していたし、今も、そしてこれからも存在し続けるであろう」という意味になり、神の自存性、独一性、永遠性を物語っているのです。誰にも依存せずに、自立して存在し、あらゆる神々をしのぐ唯一の存在、そして永遠に変わることがない者であると自己紹介をしているわけです(ヘブル1:12)。
またこのハヤーという動詞は、補語を付けて初めて意味をなす、英語のbe動詞「~である」のようなものとも言われます。つまり「わたしは(光)である」「わたしは(いのちのパン)である」「わたしは(良い牧者)である」というように、後にイエスは、この言葉を用いてご自身を語り、神の性質について解き明かされています。つまり、光、いのち、良いといった様々な補語を入れて説明できる神が、モーセとともにいて、モーセを送り出すのだ、とモーセに迫られるのです。
2.モーセを遣わす神(3:15-22)
実に神は不思議なお方です。神はご自分が「父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であることを明らかにされています(15節)。そして実際に息子を持たない男に息子を与え、土地を持たない者に土地を、さらに不名誉に踏みにじられた人生に、栄誉ある誇り高き人生を約束どおりに与えられてきました。それから400年経って、再び神は、かつての約束を取り上げ、その約束は永遠に有効だと、今度は、奴隷の苦役に苦しむイスラエルを救い出そうと言うのです。17節「乳と密の流れる地」それは、荒野を遊牧する民、イスラエル人にとっては実に魅力的な土地です。一国の奴隷として虐げられて生きていたイスラエル人にとって、自らの仕事を楽しむ自由を約束されているのです。果たしてそれが起こりうるのか。状況は極めて絶望的でした。しかし神はかつて「彼らは多くの財産とともにそこから出てくる」(創世記15:14)、とアブラハムに約束したとおり、それを今その絶望的な状況で実現しようというのです。かつてアブラハムが年老いて、最も子を得ることが絶望的だと思われた時に、神は約束を果たされましたが、今回も、同じです。イスラエルが奴隷の苦役で最も雁字搦めになって、救いの施しがないという絶望的な状況に追い詰められた時に、神は約束を果たそうと動き出されたのです。しばしばピンチはチャンスです。そしてモーセは、明らかにチャレンジを与えられていました。神を信じられない心と向かい合うようにされたのです。たとえ状況は絶望的であるとしても、神の是を是として生きることが信仰です。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「モーセの義理の父、レウエルは、別名何と呼ばれているでしょうか?」答えはイテロ(3:1)でした。では、今日の聖書クイズを一つ。イエスがご自身を説明するために「わたしは~ある」という構文を用いて、話されていないことは何でしょうか?①門、②ぶどう、③山、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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