出エジプト記6章

6章 イスラエルとの契約
1.神について理解を深める(6:1-8)
 3節「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主という名では、彼らに私を知らせなかった」とあります。先に創世記を読みましたが、そこで私たちが神について学んだことは、神が全能の神である、ということです。そして出エジプト記においては、神はご自身が、万物の主であることを明言されるのです。世の中に神々と呼ばれるものは、たくさんあるけれども、それらは皆無に等しい偶像で、この地上に神と呼ばれる存在は、アブラハム、イサク、ヤコブの神、聖書に全能の神として語られている神、ただお一人だということです。
また、4節、神はご自分を契約に忠実な神として証しされています。なんと400年も昔に約束されたことを神は覚えておられるのです。そして、その実現のために、ちょうどよい時を見守りながら、力を注ぐ誠実なお方なのです。この世の社会では、何年も月日が経てば、それはかつての約束、と状況の変化に応じて、約束が反故にされてしまうこともあるでしょう。しかし、神は、約束は約束、時代が移り変わっても守られるお方、言ってみれば「私は昔あなたの曽祖父と約束したことがある、それを今のあなたにも守りましょう」とおっしゃる方、また、約束を守るためには、一国を揺るがす、大きなことをなさるお方です。
さらに6節、神はご自身が贖う方であると語られます。「贖う」とは、「失われたものを代価を払って取り戻す」ことを意味しています。ここでは、エジプトの奴隷であったイスラエル人を買い戻すことを言っています。ただ、神について私たちが知らなければならない最も重要なことは、この贖いの思想です。この贖いの考え方は、後に、新約聖書の中心的なテーマとなります。つまり、この世の社会において罪の奴隷と等しき人類が、イエス・キリストにあって買い戻されたというのがそれです。そしてイエスは、その贖いを、大枚をはたいて成し遂げたわけではなく、自らの命をもって成し遂げたというのが、十字架の意味であったわけです。通常奴隷はお金で買い戻されるのですが、イエスは、いのちを持って買い戻してくださった。神は、それほど、人類を尊く扱われるお方だということです。全能の神、主なる神、そして何よりも、罪の泥沼から贖いだしてくださる愛の神を信じるのがキリスト教信仰なのです。
2.主の前に訴える(6:9-30)
古い話ですが、私の祖父が、アルコール依存症でにっちもさっちもいかなくなっていた私の母の行く末を案じて、わざわざ郷里から牧師を送ってくれたことがありました。蒸気機関車の時代です。地方の片田舎から片田舎へ、約6時間の道のりでした。祖父は、悩み苦しむ母に、キリスト教の救いがあればと考えたようでした。しかし、わざわざやってきた若い牧師は顔色が悪く、人を励ますには、あまりにも頼りのない様子であったようでした。タクシーで近くの教会まで連れて行ってくれたと言いますが、随分と薄っぺらな財布が、母には気になったようでした。私も母と一緒に連れられて教会へ行った記憶があります。そして、母にしてみれば、その時聞いた話は、よい話ではあったが、悩みが深くて受け入れられなかった、と言います。むしろ、不本意な思いが沸いて「神様がいるんだったらなんで私はこんなに不幸なんだ」と教会の牧師に食ってかかり、教会には行かなかったと言います。それから数年後、母は、もはや神以外に自分を救い出せる者はない、とまさにどん底の気持ちになった時に、なんと既に10数年も前に癌で亡くなった祖母の祈りの姿を思い出した、と言います。祖母は、死の間際まで気丈に床の上で自分の子どもたちの救いを祈ったと伝えられるのです。教会へ行こう、そこに救いがあるかもしれない、と母は再び近くの教会の門を叩いて、結果的に信仰を持ったのです。
9節「彼らは、失意と激しい労働のために、モーセの言うことを聞くことができなかった」とあります。私の母の「神がいるんだったら」という気持ちに通じるものでしょう。また、12節、モーセは神に訴えています「イスラエルの子らは私の言うことを聞きませんでした。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか」(10節)。牧師としてモーセの困り果てた気持ちも良く理解されるところです。いかんともしがたい状況の中で、人の心はよれていくものかもしれませんが、結論はわかりきったことです。直ぐに人間らしく生きたいと願うなら、やはり神に希望を抱き、時を待ち望むことです。人間的に器用に動き回ってなんとかしようと思っても、それが無駄だというのであれば、もう万策尽きたというのではなくて、ただ神を信頼することです。神は全能の神、主なる神、そして贖い主、愛の神です。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「イスラエル人はエジプト人に奴隷とされ、レンガを作らされましたが、逆に、イスラエル人がレンガを作らせ、奴隷とした民族は、何人でしょうか?」答えはアンモン人(2サムエル記12:31)でした。では、今日の聖書クイズを一つ。旧約聖書で契約という場合、それは聖書のどの箇所の、どんな内容を想定しているのでしょうか?

答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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