出エジプト記8章

8章 ファラオとの交渉(災い:②蛙、③ブヨ、④アブ)
1.三つの災い(8:1-24)
ファラオとの交渉が続きます。モーセの杖が差し伸ばされると、エジプト中に蛙が集まってきました。蛙は道を埋め尽くし、家の中に入り込み、ベットの上、さらには小麦粉のこね鉢にまで入ってきたのです。エジプトの女神ヘクトは蛙の頭をもって描かれています。蛙は豊穣のシンボルであり、ヘクト神は、人にいのちの息を吹き入れて生かすと信じられていました。一種のブラックユーモアに近いものがあるかもしれません。そんなに蛙が好きなのだったら、と蛙が大挙をなして押し寄せてきた、そして死に絶えて山と積み上げられ腐敗臭を放っている、あなたがたが神として拝んでいるものは、このようなものなのではないか、ということです。そのようなものがいのちを与える神と言えるのか、というわけです。
こうしてついにファラオは、モーセとアロンを呼び寄せて、イスラエルの民を解放することに同意しています。しかし、蛙の難が去って落ち着きを取り戻すと、ファラオは、前言を撤回し、イスラエルが出ていくのを許さないのです。
こうして第四の災いが下されました。「ブヨ」は、英訳では「しらみ」、新英訳では「うじ」と訳されています。「のみ」あるいは「チョウバエ」と解釈する人もいます。いずれにせよ、それは、清潔好きなエジプト人にまとわりつき、さらには、聖なるささげ物の獣にまでくっついたというのですから、これも耐え難い災いでした。呪法師は、もはや同じ災いを起こすことができず、「これは神の指です」、つまり神がなさっていることだ、とまことの神が災いを引き起こしていることを認めていくのです。しかしそれでも、ファラオは心頑なに、聞き入れなかったとあります。信じない人は、何が起こっても信じない、ということがあるものではないでしょうか。人の不信仰というのは、それほど根が深いというべきです。
さて第五の災いは、「アブ」でした。アブと訳されたことばは、ヘブル語でアロブ。七十人訳では「いぬばえ」シリヤ語訳では「はえ」です。また一説に太陽神の象徴である特殊なかぶと虫を意味しているとも言われます。つまりエジプト最強の神が、イスラエル人によって操られ、エジプト人に襲い掛かり懲らしめる災いとなっているのです。しかもこの災いから、イスラエルの民が住んでいるゴシェンの地が特別に扱われ、その地には災いが起こらないのです。エジプトの最強の神が、イスラエルを襲うのではなく、エジプトを襲うのです。いよいよ明らかになるのは、エジプトに対する神の意志でしょう。ただ何かが起こるというのではなく、神が明らかにエジプトを狙い撃ちにしている、ということです。
2.ファラオに与えられた口実(8:16-32)
再びモーセはイスラエルがエジプトから出ていくことをファラオに願います。しかも今回は、エジプト人の忌み嫌う動物をささげるので、荒野に退かせるようにと願いました。雄牛はアピス、雌牛はイシス、雄羊はアモンに属する聖なる動物で、それをいけにえとしてささげることは、確かにエジプト人には耐えられないことであったわけです。けれどもそれは、ファラオがイスラエルを去らせるよい口実を与えようとするものでした。エジプトの国は、イスラエル人の労働力で支えられていたわけですから、イスラエル人をただで外に出すわけにはいかない、ちゃんとした理由が必要であり、彼らの宗教儀式行為を守るためには、外に出す、これはそれなりの理由を与えたのです。こうしてファラオは、モーセに同意しますが、落ち着きを取り戻すと、再び心を頑なにしたとあります。以降、このような事態は繰り返されることになりますが、注目すべきは、このように頑ななファラオに対して、神の言葉を淡々と伝え続けるモーセの姿でしょう。信仰生活は、地味なものです。人生の課題は、歳を重ねるごとにますます複雑になるもので、歳を取って賢くなれば生きやすくなるというものでもありません。自分たちの手には負えないと思わされることはいくらでも起こりうるものです。そこで、単純に神に信頼して、淡々と信仰生活を進めていくか、信じてみたり、不信仰になったりとアップダウンを繰り返しながら歩むか、では大違いです。どのような状況にあっても希望はあり、神が道を開かれると信頼して淡々と歩みを進めていくところに、物事の根本的な変化があると言うべきでしょう。神の祝福は、日々神に従う単調さの中に与えられるのです。まずは神と日々よき時を共に過ごさせていただきたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「モーセによって引き起こされた第三の災いは何であったでしょうか?答えは、ブヨでした。蛙の異常繁殖と死に続いてブヨの災いがありました。本来蛙は、害虫駆除の役割を果たすので、蛙が死に絶えた後に続いたブヨの災害は、最悪の事態を招いたと考えられています。エジプトの呪法師が「これは神の指です」と語ったのも無理はなかったというわけです。では、今日の聖書クイズを一つ。ブヨは、新約聖書でも出てきますが、どんな場面で、取り上げられているでしょうか。答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!