創世記17章

創世記17章 アブラハムへの契約の再認
1.神の全能性を理解する(17:1-21)
アブラムは子孫繁栄を神に告げられた時に、自分の子どもをもうけるなど考えもせず、使用人のエリエゼルを跡継ぎにと考えていました。それに対して、神は「あなた自身から生まれ出てくる者(15:4)」が後を継ぐのだ、と語られていましたね。そこでアブラムがしたことは、サライは歳を取り過ぎている、無理だ、だから女奴隷で子をもうけよう、とイシュマエルが生まれたわけです。神を信じていると言いながら、やっていることは別に神を信じなくたってできることですね。でも、これが人の信仰の現実かもしれませんね。その出来事から13年、アブラムは99歳となっていました。神は再びアブラムに現れて言うのです。あなたは私を信じているというが、全くわかっていない。「あなた自身から生まれ出てくる者」というのは、別の女ハガルによってではなくて、「あなたの妻が、あなたに男の子を産む」ということだ。あなたは神を信じるというのは、神の全能性を理解することだと、わからなくてはいけない、と。「全能の神」は、ヘブル語でエル・シャダイである。これは伝統的には「満ち足りている」(ダイ)ところの(シャ)神(エル)という意味であるとされてきた。神のもとに、私たちの完全な満たしがあるというわけです。神に不可能はないという確信に到達していたら、信仰者のあり様ももっと変わって来ることでしょう。
さて、神はアブラムの名をアブラハムと言い換えました。聖書では、新しい名が信仰による新しい存在を意味することがあります。アブは「父」を意味し、ラムはアッカド語の「愛する」か、西方セム語の「高い」を意味する語で、「父は愛する」か「高められた父」を意味します。神は、アブラムを、アブラハムと呼びました。それは、「多くの」あるいは「群衆」を意味するハモーンとの複合語で「多くの国民の父」という意味です。あなたはただ神に特別に認められた、高められた父ではなく、これからは実施を持ち繁栄する「多くの国民の父」になるのだ、と。また妻のサライは、サラという名に言い換えられました。サライは「争いを好む」という意味ですが、サラは「王女」という意味です。さらに神はご自分についても、新しい名を用いられました。それが「全能の神」です。アブラムは自分が新しい者であること、妻との新しい関係にあること、さらに、自分が信じる神を新しい視点で意識させられたのです。アブラムはこれまで漠然と神を信じていたことでしょう。しかしここでついに、神に不可能なことはない、神は全能の神であるという神認識を得るのです。
2.割礼(17:22-27)
また、神は、この契約において、しるしとしての割礼を受けるようにアブラムに勧められました。後にこの契約のしるしである割礼については、契約の内容よりも形式が大事にされるようになっていきます。パウロは、信仰は、契約の内容を大事にすることであって、契約の形式や律法主義に陥ることではないと語っています。内容ではなく形式に傾くのは、私たち罪人の問題でしょう。バプテスマの内容よりもバプテスマの形式を重んじることもそうかもしれません。
そこで割礼を受けるその内容ですが、それは、神の契約に立ったことを証しするものでした。さらに大切なのは、イシュマエルも、家の男たち、家で生まれた奴隷、外国人から金で買い取った者もみな、アブラハムと一緒に割礼を受けたことです。つまりアブラハムの一族が皆、一つの契約の中に集められたこと。それは、アブラハムの個人的な契約が、アブラハム一族の契約となったのです。となれば、今日、キリスト教会が個人にバプテスマを授けることも同じような意味があるものでしょう。バプテスマを受ける時に、私はこの教会の家族と共に神の祝福に与っていく、と覚悟を決めるということです。転入会も同じです。
神は、約束を具体的に話されました。「来年の今ごろ、サラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる」(21節)と。イサクは、「彼は笑う」を意味することばです。確かに100歳の者に、また90歳の妻に子どもが生まれるというのは、受け入れがたいことでしょう。しかし、私たちが信じる神は全能の神です。神はこの全能性を理解させるために、アブラムの生殖能力が完全に死ぬ状況を用いられたと言うべきでしょう。信仰を持つということは、神の全能性に信頼することで、私たちの思考を超越するものなのです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「シナイ半島の地中海よりにあったものが、シュルの荒野、スエズ湾よりにあったものが、エタムの荒野、では、アカバ湾よりにあった荒野はなんと呼ばれたでしょうか?答えは、パランの荒野でした。では、今日の聖書クイズを一つ。神がアブラムに与えた新しい名前アブラハムは、何を意味しましたか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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