箴言20章

20章 物事をよく理解する

おはようございます。新型コロナで色々な不安が重なる、このような時にこそ、聖書を読み、物事をよく理解する力を与えられ、余計な心配をせず、神に信頼する盤石な心を持ちたいものです。聖書の神は誠実なお方で、間違いはありません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.物事をよく理解する

箴言はなかなかまとまりをつけて読むことが難しい。一説一節を読み味わう他はない、と思うところがある。ただ、15節、「知識の唇こそ宝の器」つまり、物事をよく理解し、賢く語る力が、一つの視点を与えてくれる。1節、酒に飲まれて失敗する人は、やはり物事をよく理解する力のない人だろう。権力者を怒らせる者(2節)、争い好きな人(3節)、先を見越して収穫時に慌てる者(4節)も同じである

よく物事を理解する人というのは、人の心の中にあることを上手に表現するものである。「そうそう、それを言いたかった」と語らせるものだ(5節)。人を簡単に信用することもない。人は誰でも冷たい人とは言われたくないものだ。だから、親切な人、心ある人のふりをする。真実な親切、信頼など滅多にないものが普通だろう(6節)。だがやはり誠実さが一番だ。誠実に生きることに優るものはない(7節)。というのも、裁判官が、徹底的に物事を調べて真実と嘘を見分けるように(8節)、神様はあらゆるごまかしや嘘を見抜いておられる(10節)。この世の中は、実際のところ、神の正義を原理として動いているのであることを理解することだ。善と悪が戦えば悪が勝つというものではない。目や耳をつけてくれた、神がいる。神を覚えることだ(12節)。

2.理解したなりの行動を執る

神の正義を原理とする社会であるならば、目を覚まして勤労を徳とする生き方が大事である(13節)。色々とケチをつけて値切っていながら、手にすれば掘り出し物と自慢する人間の性質をよく理解することだ(14節)。よそ者はよそ者である。お金を貸したら戻ってこないものだろう(16節)。人を騙してうまく言ったなどと思うのは、最初だけだ(17節)。物事を進める時は、熟慮することだ。つまり人の意見をよく聞き、皆の賛同を得、実行可能な計画を立てることだ(18節)。口の軽い連中とは付き合わない、わかりきった原理原則だ(19節)。親を親と思わず、粗末にする者とも距離を置くことだ(20節)。神の正義を原理とする社会であれば、復讐は神に委ねることである(22節)。神が片を付けてくださる。手を打つのに遅すぎるということはない。チャンと神が働いてくださっている。神はごまかしや嘘を忌み嫌われる(23節)。10節と23節は繰り返しである。ここがこの章の勘所と理解すべきだろう。ともあれ、神の正義がこの世を支配しているとすれば、余計な心配はしないで、神様に信頼して、誠実な歩みをすべきである(24節)。そして神を神として仰ぎ、余計な誓いを神の前でしたりしないことである(25節)。神は生きておられる。人間の息、つまり神に与えられた霊は、心の中の灯、暗がりに隠れた思いを照らし出す、と言う(26節)。神としっかり結びついて、自分を弁え、物事をよく理解して歩ませていただこう。

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