箴言19章

19章 貧しくても誠実に歩む者の幸い

おはようございます。人間にとって決定的に重要なのは、人柄、品格、人格というべきものであって、モノがあるなしではないと言えます。新型コロナの問題があるこのような時代であるからこそ、人間を尊重する生き方、そのものが問われるところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.金持ちと貧乏人

19章の鍵は、「貧しい者」である。どうやら二つのタイプの貧しい者が想定されている。貧しくも、堅実に人生を築き上げようとしているタイプ、そして是が非でも金持ちになりたいと欲望むき出しの貧乏人である。すでに見て来たように、著者が注目するのは人格的な高潔さであり、お金のあるなしではない。だから「貧しくても誠実に歩む者」(1節)は高く評価するし、お金のあるなしは決定的なことのように思われるが、貧しいがゆえに疎まれる事態になることは(4、7節)期待されていない。何よりもお金様々の現実はあっても、それに飲み込まれてはいけないのだ。

だから金持ちについても、二つのタイプの金持ちを想定している。10節「愚かな者にぜいたくな暮らしはふさわしくない」と言うように、よい収入を神の恵みとして受け止め、正しく用いる心のない金持ちと、17節「貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと」と、自分を神の富の忠実な管理者と心得ている金持ちである。

人間社会には、勝ち組と負け組があるわけではない。人はそのような見方をするが、神はそうではない。実際人の値打ちはお金では測れない。人は裸で生まれて裸であの世に帰っていく。人はモノを持った自分を評価するが、親と子が別物であるように、人とモノも別物である。親が子によって評価されたいと思うのは、子が自慢に値する時だけである。神は与えられたモノを正しく用いることを期待しておられる。つまりモノをどれほど持っているかではなく、モノに対してどのような姿勢、態度を持っているかが人間にとって決定的なのである。つまりモノを持つ人間に、信頼され尊重される人格の高潔さがあるかどうかが重要なのである。今回の新型コロナの問題に関連してモノの欠乏が生じている。貧乏人も金持ちも、人間としての品格が問われている。経営業績の悪化においても、お金の配分を考え、馘首する賢さではなく、窮状を打開し、共に危機を乗り越える情のある知恵と品格が問われている。

2.人間の品格を大事にする

結局は、人間のドラマは、平面ではなく三次元である。人間は人生に失敗すると、自分の愚かさを棚に上げて、そんな時だけ神を引き出して毒づくことがある(3節)。神がこんな災いを下したのだ、と。しかし、正しくは、神が許容したと思われる災いの状況の中にあって、恵み深い神を覚え、神の解決を待ち望む品格があるかどうかである。神は、誠実な者、勤勉な者の友である(23節)。主を恐れる心がなければ、人間は、自分を法として生きてしまう。器の小さな人間の法ほど災いなものはない。人間ではなく、天地万物をお造りになった大きな器である主こそ認めていくことである。そして「主の計画こそが実現する」という宇宙観に生きることである。その確信から、人間としての品格を重んじて生きることだ。

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