箴言7章

7章 知恵を受肉させる

おはようございます。先に知恵を目、口、手、足に連動させるべきことをお話しました。聖書のことばを私たちの生活の糧とし、それによって心を養い、自然に知恵ある行動が出てくる、それが箴言を読むことの目標です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.よその女から身を守れ

よその女に対する警告が繰り返される。2:16-19、5:15-23、6:24-25、と既に警告は三度繰り返されてきた。7章は、1章を割いて、もう一度知恵を持つこと、つまり神の教えを、宝物のように大事にし、自分の肝にしっかり命じることが、よその女から身を守ることにつながると説明する。知恵は、完全に心に刻まれ、習癖に置き換えられるまで取得すべきものなのである。

一人の青年の例が挙げられる。彼は「良識のない若者」であった。つまり世の中の常識を無視する振る舞いをする若者である。彼は、理解できない生き方をするよその女が危険であることは感じていたのかもしれない。しかし、彼は遊女に近づいていく。そこが知恵のないところである。その結果常識的にどんなことが起こるか、後先を考えない良識のなさが災いとなるのである。

ここでは、よその女が積極的に青年を誘惑している。最初は、青年の意表を突くモーションをかけ(13節)、自分の祝い事に加わるように誘い込んでいる(14節)。そして、まさに、青年が意中の人である持ちあげ(15節)、最後に官能的な言葉をささやき(16-18節)、安心感を与えるよう(19-20節)に口説いていく。この女は心に企みがあり、青年にはそれを見抜く思慮がない。だから、22節、ただちに青年は女に従っていく。「ただちに」と訳されたヘブル語は、「突然」を意味する。つまり優柔不断の後、あっという間に陥落してしまうということだろう。

2.知恵を身内とする

知恵があるというのは、神のことばを守り、神の命令を心に蓄え、その命令を守って生きることに他ならない。神のことばを知っていても、それを心に留めていても、それを守って生きることがなければ、つまり、神のことばを知っていても、それを本棚にしまい込み、別の原理で人生を生きるならば、当然その報いは受けるのである。知恵を持つことは、何かを知っている事以上のことである。わかっていれば、こんなことにはならなかったではない。わかっていても、問題を起こしてしまう。だから、大切なことは、神の教えを宝物のようにし、それを、心に刻み、それが自らの自然な習癖となるまでに、自分のものとしていくことだろう。知恵をそれこそ、恋人のようにし、自分の身内のようにするのだ。

聖書は言う、心を迷い込ませてはいけない、と。やはり、日常生活の中で、自分の思いをどこに向けていくか、どこに置いておくかが問題だ(25節)。絶えず自分の思いを、神の言葉に置きながら考える習癖を身に着けることだ(26節)。神のことばを完全に心に刻み込んで、受肉させていく、そんな日々を積み重ねてみよう。

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