28章 ツロの王の破滅(28:1-19)
おはようございます。昨日に続きツロに対する預言、ツロの王の高慢の罪が取り上げられます。サタンの起源を語るとも言われる箇所ですが、まずは人の現実を語っています。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.預言者エゼキエル
ツロの君主、エトバール2世が、自分を神としたことで非難されています。それはまさに高慢の罪ですが、すべての人に共通する最も根源的な罪と言うべきでしょう。
創世記3章、最初の人アダムとエバは「神のようになる」(創世記3:5)というサタンのことばに唆されて、神に背き、エデンの園を追放されてしまいました。11-19節は、その物語をなぞっています。これは、ツロとアダムに共通する高慢の罪とその堕落を重ねて語っているようです。
しかしながら、この箇所については、もう一つ、サタンの起源について語る、とする説もあります。聖書には、悪魔やサタンの起源について直接的に書いているところはありません。それは、聖書の関心が、主として神にあるためです。しかし敢えて、その起源について語られている所を探すと、ここに手掛かりがあるというわけです。「ツロの王」(12節)について語られたことを比喩的に取って、守護者ケルビム、つまり神の最も近くに存在するように位置付けられた天使(14節は、新改訳2017で訳が修正されました)が、高慢に陥り、罪を犯したために「神の山から追い出」されたというわけです。
ちなみにイザヤ14:12-15も同じような内容を含んでいるとされ、それは直接的にはバビロンの王について語っているものですが、これも比喩的に受け止め、彼は、「ルシファー、暁の子」(イザヤ14:12)つまり、「輝いている者」あるいは「光を運ぶ者」で、最初は善なる者として創造されたのに、堕落して悪しき存在となったと言います。
ただ考えようによっては、人間もサタンも五十歩百歩、その心の魔性を考えると同じようなものかもしれません。人にしても、サタンにしても、堕落の原因は、自分を神の位置に置くことです。富み、栄えることが問題なのではありません。神から特別扱いを受け、「火の石の間」を歩く、つまり、13節にあるように、美しく炎のように輝く宝石の間を歩く存在にまで高められたとたん、土足で神の玉座に上がり込む愚かさが問題なのです。神を認めない人間は、皆そのような誘惑にさらされています。しかし、「あなたは人であって神ではない」(2節、9節)やはり造られた者、命を初めすべてを与えられて生きているに過ぎない者であることを忘れてはなりません。
2.シドンへの宣告、イスラエルの回復
20-23節は、ツロの隣国、北方に位置するシドンに対する裁きの預言です。ツロとシドンに対する手厳しい裁きが語られた後、その運命に対比されるイスラエルの回復が語られる点に注目しましょう(24-26節)。
イスラエルの回復の預言は、33章から本格的に語られていきますが、永遠に葬り去られる諸外国の民と区別されて、イスラエルだけが、再び捕囚の地から回復され、エルサレムに集められるところに、ご自身の聖徒を特別に扱うと約束した(詩篇4:3)、神の誠実さが示されているのです。不思議なことに、神の御前にツロと同様に高慢になり、サタンに等しき振る舞いをした不真実なイスラエルに対して、神は「約束は約束」と言われます。そのような対応が、神の聖なることを示す、と(25節)。どういう意味でしょう。ヘブル語の「聖」には分離の意味があります。つまり、「聖なる」というのは、「区別される」ことを意味するのです。神が、人と違って、いかなる理由があろうとも約束を守るお方であることは、まさに人と神とは違うことを明らかにするのです。「あなたは人であって神ではない」まことに聖い神を恐れ、謙虚に生きることを大切にいたしましょう。